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ココは元S-Silence管理人の日記とかエッセイモドキとかが徒然とごにょごにょしている空間です
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芸術において嫉妬は糧だという人もいるけれど、別ジャンルに嫉妬してて何の糧になろうか。
絵はだたでも、需要からすでに適わねえんだ。
じゃあ絵を描く能力と交換してあげようかと言われても、小説が掛けなくなるのは絶対イヤだしな。我が儘なもんだ。

ワシ、美術館とかでも雷みたいな衝撃とか経験ないし、言葉が好きすぎて、言葉が無い作品だと感受性がニブニブなのだけど、それでもじっと見ちゃうものにはやっぱりなんか感じてるんだと思う。
でも表立って良かったって反応を示したら矜持が折れちゃうとか、すでに他の人が絶賛してたら俺はもうこれ以上は自分で嫉妬のタネを撒く事ねえなとか、心狭めなこと考える。

いいんだよ、そりゃ世界を支えてるのは自分じゃ無いんだから、誰かが頑張ってくれてるのは良いことなんだよ。
むしろ俺一人で支えろっていわれたら重すぎてヤだよ。
でも、この口から賞賛は吐けないって、思っても罪はまだないだろう。
作品を書いてる内は。
あー……そっかあ……。
スタンプがあったら日本語で感想を言わなくなるかなあ……。
でもやっぱ言葉がいいなあ……。
残念。
現状ツイッターは、人気投稿のリプライ欄には他人の発言をコピーして呟く美女アイコンが溢れており、人間を探すのが難しいようだ。
画像やURLの投稿にも不具合が生じている。
これでは交流をするのは難しかろう。
壁打ちの人間は交流をしないのであるが、船全体が沈むと人が居なくなる。それはまずい。

当方はイーロン・マスクとやらは遅くとも2028年にはツイッターを去っていると予測しているので、それまではとりあえず様子見をするつもりではおるのだが、しかしながらイベントに参加する日がツイッター不具合の爆発日というのもあり得なくはない。ツイッターしか情報開示場所が無いと行き詰まるかもしらん。
なので振興SNSにもアカウントを作って、保険として周囲にアナウンスしてはおいた。

けれど、私が懸念するのは、かつての私と同じくらいの浦島がいま同好の士を見つけようとしたら、ムリだろうなということだ。
自慢じゃないが、私はツイッターで活発に発言するファンダムにはまるで気付かず、pixivだけを見て「誰もコメントしないし喋らない。いまはこういう世の中なのかな」と思っていた。超大手ツイッターで隠れるでもなく盛り上がっているのに、行き着くまでに何十日も掛かったのだ。現状の振興SNSを用途別に使い分ける世界だったなら、最後まで無人と誤解して去っていたやもしれない。いや、むしろ現在の状況だとSNSだけでなく作品の投稿先まで散り散りなので、作品を見つけることもなく、読みもしなければハマりもしないので同人復帰してない。

難しい問題だ。大手のSNSや投稿掲示板の一人勝ちが思わしいワケではないのに、情報が散っていると盛り上がれない。どうすればいい。
この状況。
この、「今の同人は紙ベースじゃなく、webの至る所に作者が住んでるから、まずはカプ名とか検索避けに使われてる隠語を探し当てて、ツイッターかタイッツーかくるっぷか、そんなところで同好の士を探せばいいけど、作品の投稿先としてはpixivかぽいぴくかプライベッターかピクブラかソナーズか……まあ色々あるからその人のSNSのプロフから繋いであるのを見つけるか、繋いでくれてなかったらその人が作品を投稿したタイミングでフォローするかブクマするか……」
みたいなややこしい状況をどうすればいい。
正直なところ、
『これが○○カプを書いてる人のURL大全だ!』とかいうまとめがあればメチャありがたい。
熱い感想には、熱い返信をしたく推敲を重ねるのだけれど、そこには個人的な鉄則がある。
それは読者の読み方はすべて正しいって事だ。
だから面白い。だから作者は作品外で作品を語らない。
語れば読者の想像の伸びやかさを封じてしまうかも知れない。
少なくとも「面白い」と思ったからこそ感想をくれてるんだ。
その読者の「面白い」を感想から読み取りたい。
読み取ってそこを膨らませる言葉を返したい。
返信は、感想への感想であると同時に、歴としたエンターテイメントであるつもりだ。
この鉄則を守る方がきっと感想を書いて良かったと思ってもらえると信じてる。
ただ、ちょっと、内容に制約が出てくるので書くのに時間が掛かる。
当方、壁打ちだけど作品投稿掲示板のフォローはゼロではない。
一応の基準はあって、100%自分好みの物を投じてくれると確信できる作者のみフォローしてる。
この度、それが4件になった。喜ばしい。
例えリアルで会っても、貴方の作品の此処が好きと言える相手ばかりだ。

何しろ二次創作の作者は多い。
あまり書かない人も、あまり特徴のない作風の人も居る。
読んだことある作品、見たことある作者名、だけど記憶の中で誰がどれを書いたか結びついてないなんて山とある。
リアルで会ったら、なに書いてた人だっけってなりそうなのもあって怖くてフォローできない。

あと、字書きもなんとなくフォローできない。字書きが字書きをフォローしたら、系統の関係図ができてしまうというか。それと、そもそも文章はあんま読まんし。
もちろん素晴らしい実力で殴り倒してくる人が居たらフォローするんだろうけど、例えそういう人が居たとしても殴り返すスタイルは持ち続けたく、強敵と書いて友になれたらいいなと夢見てフォローすると思う。
これ、同人の悩みといえば悩みなんだけど、当方は少々ミニマリストなので、実はノベルティは要らない。
でも注文時に「要りません」とかいうメッセージはさすがにできん。
発送作業で「この人のは抜く」という特別対応をするのは手間だろうし、第一ショックだろうしな。
だが、ウチに来ても資源の無駄になるのだ。
出来るなら欲しい人の手に渡したいがメルカリに出せる品でもない。
すると、精々資源ごみに出すくらいしか世界の為に出来ることはないのだ。
向こうは知らぬが仏とはいえ、こちらは知っているので気持ちが重い。
なので、悩みと言えば悩みだ。
例えばリポーターがその道30年の職人を取材して、「私もこの一ヶ月真剣に取り組んで来たんですが私の作った作品は一個も売れなくて落ち込みました! 才能が無いんでしょうね!」とかゆったら、何じゃコイツ? 太刀打ち出来ると思ってたんか??? っていうか修行もしてないんだから才能の問題じゃねえだろ??? って思うよな。

芸術ジャンルは、サッカーとか野球に比べると「練習してなきゃ勝てるわけない」っていう意識が低い。一目では価値が分からない文字作品なら尚のことだ。
ここで「こういうのは勝ち負けじゃ無い」って言っていいのは、感想といいねがゼロでも心が揺らがないヤツだけだ。俺には言えん。
自分との戦いだよ。感想をもらえるようになるまで書くのは闘志が要るんだから、戦いって呼んでもいいだろ。
ただしこの勝負は勝っても敗者が発生しない。作者が勝利したら、読者も勝利してる。まさにwinwinの関係。

小説は誰にでも書けるけど、それは、小説は誰にでも書けるって意味じゃねえんだよ。
けど残念なことに、上記の言葉の意味が分かるのは修行して書けるようになってきた人だけだろう。

もしも才能って表現を使うとしたら、そこまで飴ナシで踏ん張れるのは才能かもな。つまり、まず最初に、文字を書くのが好きなのかどうかだよ。
絵より頑張らなくてもすぐに成果を上げられそうだから手を付けただけなのなら、損な判断をしてるから辞めとけ。
それこそ文字の修行を30年間したところで絵ほど感想は来ねえからな。
どっちでもいいなら絵の修行を10年間した方が反応は得られると思うぞ。これはの貴賤とか優劣の問題じゃなく、消費人口の差なのよ。
初めて小説を書いた人が、連載を始めて一ヶ月後に感想がもらえなくてツライと言い出す。才能が無いとか、私の文章なんてと自己卑下をされても、一ヶ月って言ったら、中学で初めてバスケ部に入った若者が、まだ走り込みとフットワークとドリブル練習とパス練習しかさせてもらえてない時期だからな。いきなり試合しても負けるんはしゃーない。
一ヶ月目はツラいとこだから部活のドロップアウト時期ではある。
そこを乗り越えるならワシは、まず500~2000文字程度の短編を完成させる事をオススメするぞ。
いろんなSNSとかサービスを、信用できない、嫌悪感があると言って逃げ惑ってる人たちって、作品を発表する頻度が激減してると思う。
やっぱ他の事に気を取られてると作品を作らなくなる。それはワシが壁打ちをしてる理由でもある。神経丸出しでwebしてる人は多いから。
長文の感想メッセージはかなり貴重だ。
それは、送り主の文章力ってのはどうしてもあるから場合によっては「もらったけど読みづらい!」って困ることもあるけど、とにかく貴重なのは間違いない。そんだけ労力を掛けて書いてもらう事に成功したんだから。

感想は欲しい。だがストレートに、「感想ください!」と言うのは割と悪手だと考えている。
人間なぜか、頂戴頂戴と手をブンブン振ってると浅ましく映るのか、コイツには与えたくないと避けられてしまうようなのだ。これは当方のギブミーチョコレート的な幼児体験に基づいて言っている。
やはり飽くまでギブアンドテイク。まずは、与えるに値すると認められる働きをするのが肝要なのだろう。

感想を書いてもらう事に成功するのは、なにも偶然ばかりではない。書いてもらいやすい条件というものがある。
そのひとつに「完結」がある。盛り上がってから幕を閉じるのが最高だ。クライマックス直後は読者も「ココが拍手のしどころ!」と分かるからアクションを起こしてくれやすい。
しかしここには重要な心得がある。
感想をもらうために盛り上がる話を書くのではなく、面白い話を書いたら人を揺さぶれるから感想がもらえるのだという基本構造を忘れないことだ。その面白さの為に盛り上がりが有用なだけなのだ。盛り上がりを描くときに感想を期待しても良いが、感想の為に盛り上がりを描いてはいけない。
この関係性を間違えたら詰む。
どう詰むかというと。

一年以上も掛けて「第二部完結!」とかやっても、長文メッセージは1件だったりはするのだ。ゼロの時だってある。
それでも、「私は面白いと思ってる」のならば続きが書ける。
もしも、感想をもらうために書いてたのならばここで意気消沈して詰む。執筆は終わりだ。

だから、「感想ください!」と手をブンブン振る代わりに、書いてる話が面白くなるようコツコツと手間をかける。
そうやって耐え忍ぶ日々を経て、自発的なメッセージを送ってもらえた時には、手を降ったよりもっと良い執筆の栄養になる。

それはそうと、「感想ください!」と手をブンブン振るのも、環境によっては悪くない。
ちゃんと健全な友人関係があったりするのならば良い交流だと思う。
自発的なメッセージは、いわば高級料理のようなものだ。餓死しそうでもこれを狙いに行くのかどうかは、趣味による。
 
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