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ココは元S-Silence管理人の日記とかエッセイモドキとかが徒然とごにょごにょしている空間です
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二人は末永く幸せに暮らしました、それは何もない宇宙空間で一万回も再生した絵本の結末だ。そんな、過去には無用と判断していた屑データばかりが無聊の慰めで、逆に最重要項目に設定されている自分の位置情報こそが今となっては無意味だった。爆発で艦外に放り出された兵器の回収などコストも見合わない。お伽話の姫と彼の共通点は嘗てキスで目覚めた事くらいだ。慣性が体を無音の彼方に押し流し続け、周囲の僅かな光をセンサーが捉え、そうして漂流軌跡がメモリに上書きされていく。絵本がいま消えた。物語より何度も再生した一番古い記録も今に塗り変わるだろう。「おはよう私が君の開発者だよ」鮮明だった笑顔がもうすぐ座標の羅列に置き換わる。その間際に最後の再生、初めて目を開く前に受けた唇の摂氏。スピーカー通電。「もう一度キスしたかった」浪費音声出力。思い出のない自分にはバッテリーも無くていい。タイムの桁が何度振り切れても末永く一人。

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以上。
お題:420文字まででバッドエンドの話。ルール・地の文に『二人は末永く幸せに暮らしました』 台詞に「もう一度キスしたかった」を入れるものとする。
お題:420文字まででバッドエンドの話。
ルール:地の文に『二人は末永く幸せに暮らしました』 台詞に「もう一度キスしたかった」を入れるものとする。

おk
内容柄あまり人に話したこともないが。創作意欲とやらが一番湧くのは、感激するほどのものに出会った時ではなく、退屈している時でもなく、いい線行ってるのに詰めが甘くて残念なストーリーを見た時だったりする。
その残念さの具体例を挙げるなら、例えば、「両想いになってからラストまで急に普通の話になったな」とか「その世界観ならもっと戦闘シーン入れて○○△したらいいのに」とか「着想はいいのに表現力が全体的にロー」とかである。
 要は、もっとこうだったらいいのに、と思った時にそこを補完するシーンなり台詞なり文章が頭に出来てくる訳だ。そして僕は僕が考えた最強の欲求補完作自分用をネットに上げる羽目になっていた訳である。(これは前もどっかでゆったけどデスペナがその最たる物だった。当時は世の中のアサシンがすぐ折れてたから……)
 因みに、恐らくの話をするが、自分の満足する物を作っても他人の口に合うかは別だろう。飽くまで自分の脳で味見した食べ物だ。
 満足させてくれなかったから自分で書く。これは取り分け同趣味者に対して失礼というかBAD性癖な感じがするので、口にする事はないが、もしかして皆そう思って控えて居るだけで割と一般的な思考なのだろうか。それとももしや、密かにマジョリティだったりするのだろうか。
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 最近の女性向け漫画の現場シーンは凄く進化してるなと思う。昔は袋の描写無しとかざらだったのに、今じゃあ、かつては男性誌でも劇画調でなきゃここまで描かなかったんじゃないかってくらい毛も筋も細かい。中にはそのキャラを通常時は半剥けだと設定づけて、経過の過程を丁寧に描写している描き手までいる。

 しかし私が腑に落ちないのは、そこまでリアルにしていても尚、役割によってのサイズ差異が非現実的なレベルの違いでもって存在している事例が多い事だ。現状ではこの辺りの問題について安心したければ、作中で役割交代が行われる種の話を選ぶと大体は間違いがない。役割と大きさの関係はそんなに切り離し難いものなのだろうか。

 しかしながら、サイズ差異の問題もいずれは解消されていくものと私は考える。今は過渡期なのではないだろうか。作中で人種によるサイズ傾向に言及する人も居るし、各キャラの被せ物のサイズチョイスまで設定づけられている作もある。いずれはそういった先人達の研鑽が文化の隅々にまで広がって行く筈である。
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 そもそも、物語の主人公のようなシリアスで劇的な半生なんて送っちゃいない、それに比べりゃ何の不自由も無く育った筈の自分が書く文章が、なんだって悲しい情感があるなどと表されたりするんだかな。
 悲しいからだよ、と大手を振って言えたら話は早いんだが、このぬるま湯のような個人情報を見て、ああそれは悲しみのある人生だろう、と言う人は居るまい。
 でもやっぱり悲しくなくて悲しい文章が書けるとは思わないので、つまりこれは悲しい道を歩かなくても悲しくなっているというのだろうか。それがもしも実体が無くても過剰に催してしまう悲しみ病というようなものだとしたら、本物の悲しい出来事がやってきた時には針が振り切れておかしく成ってしまうだろうか。
 いや、何となくだが、やってきたそれはいつも通りに悲しい事と同列あるような気がする。つまりとても悲しい事だ。

 何が言いたかったんだっけ。
 そうだった、私には割と頻繁に悲しさがある。残念な事にそれがある種の原動力になってしまっている。
 当初それを噴射する手段として何らかの物語を書く行動をとっていたのだが、ブログができ、ツイッターができ、徐々にガス抜きが簡単になってしまった。
 少しくらいは圧力を高め直そうと思っている。
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 今って2014年だよね。
 思えば二次創作世界から引退するって決めたのは2008年だったんだよね。
 特攻Aに出よう、と。そう決心したのは引退を見据えての事だったんだよね。
 そこでデスペナの続編を出して、一度だけ対面で皆さまにご挨拶したら、それにてやりきったとしてサイトを閉じる筈、だったんだよね。

 けど急にコスプレしたくなって、ざっと250時間くらい服に費やしたと思うよ。
 そうするとデスペナとか書けるワケ無いし、サイト内連載の完結なんて出来る筈も無い。
 それが予定狂いの最初のワンステップだった。
 その後のイベントでデスペナの続編は出せたが、何でそれまでに続き物を完結させとく事が出来なかったんだかね。また引退できなかったよね。

 今やっと全ての要素をクリアするってのはなかなか遅いね。
 そういう心拍数の少ないサイトだったけど十年以上やってたからね。一応人生の大きな部分とは言えそうだよね。僕にとっては実り多かったしね。やっぱ本気だったからね。
今日、映画見た。

私、画とか技術とか演技の事よくわかんない。
その辺は唯々「感動! スッゲー!(こなみ」しか言えない。


シナリオしか胸の計りに掛けられる素養がない。
シナリオ良かった。濃密で緻密なのがぎょんぎょん来て凄かった。

見る前は、有名テレビシリーズの劇場版って、
それぞれのキャラのファンが居るから見せ場を作るの大変だろうなー
と思っていた。が見てみたら。
全登場人物を、主要キャラとは言えども平等に扱っては居ない、
その辺は切り捨てる所は切り捨ててある。
というかボリュームかなり小にしてある。
そうか、勉強になった。それもひとつの手として良いんだな。

流れは急速、でも無理の無いように上手く展開してあると思った。
そう纏める為の大きな因子は、実質一夜の大事件だった事だろうか。
全ての流れを“その日に何が起こるか”という一点に向けて集約していける。
その日までに何を済ませておくか、という日常のスケジュールワークみたいに。

そして、誰を盛り上げる為に誰を動かして語らせるか、というのもスケジュール。
こんなに人数多いのに、よく花の持たせ回りが行き届いてたし、
これ考えるの重労働だったろうなあ脳が。

もしも私がこれを考えたのならば、
その手順はどうでなければならなかったろうか。
先ず、スケジュール(ストーリー)を組む前に、
全編が終わるまでに必ずやっておく必要が有る要素(ストーリー構成外の要素)、
というのを全部書き出そうかな。
重要度ランクを二つか三つに分けて。
重要度高は、必ず入れなければ成らない要素。
重要度中は、涙を飲めば切り捨てられる要素。
重要度低は、あれば面白い要素。
くらいでいいだろうか。
これらの要素は、ストーリー作成以前にはまず各キャラが単独で持つ。
(性格紹介やキメ台詞等が外せない為、重要度高が各自に必ずある)
次にキャラ複合で幾つか持つ。
(この時点では恐らく重要度中以下が多い、主役を除いて)
ここまでやってから初めて、これらの要素を全部クリアするストーリー、
つまりシナリオ開発を始めるとしてみよう。
このミッションをこなす為には幾つかの発明が要る。
先程に、実質一夜の大事件、と言ったのは大きな発明の一つなのだろうが、
小道具も沢山要る。何故ならこういうミッションは、
辻褄やリアリティという中ボスが沢山居るからして。
そして此処まで来ると、キャラ複合で幾つか持つ要素に、
ストーリー構成要素も候補に挙がっている筈。
それを要素毎に分けて認識しておく事によって、
複雑な展開切り貼りやそれに伴う変更の連鎖に対応しやすくなる、はず。

尚、この度の作は、表現の面でも納得が行った。
アクションは派手だが、心理描写は非常にポイント攻めできた。
まるで水面に一滴だけ水を落とすかのような因子のみの描写で、
想像力に任せてくれる所が多い。
「いやん、おっとなー」うん、彼等そもそも大人だよな。
大団円の大瞬間に、敢えて笑ってる顔とかそういう系統の物を
映してないのも良かった。
そういう言葉は全部ツンなのに行動だけでデレるノリ、職人の狙撃技を感じる。
「いやん、やったなー」という感じ。
それはまあツッコミ所もある。特に物理法則なんかはぶっちぎり無視レベル。
まあ派手に決めようと思ったら、リアリティなんか追求する方が害があるワケで。
こっちとしては一番キメて欲しい心情景の方にリアリティ持ってきてくれて感謝。

と、ここまでステーキ細切れにして食ってるような事を書くと、
お前は本当に楽しんで来たのかと思われそうだが。
言っとくが私のハートはこれっぽっちも冷たくない。
気合いはある。外出中に化粧直しなど滅多にしない私が、
飲み会あってもしない私が、後は映画見て帰るだけなのに
自然と化粧直ししてる自分にハッと気付いてる程だ。
ああ、これが正座して見る、みたいな気持ちなのか。と。
おまけに上映五分前から体中の皮膚が敏感になり、
いつもなら問題無く付けていられる敏感肌用の化粧品ですら痒みを覚える始末。
はっきり言って生存本能全開モードである。

別機能なんだよそれは。(別記:なわけあるか!参照)

まあ文章の量をみても気持ち悪いくらい一目瞭然ではあるが、
今日は予想通り他の事が手に付かないだろう、
と思いながら他の事をする羽目にはなる、予定があるので。
でもまあ、今はお腹いっぱいで消化中の身なので、
少なくとも自分の物語を書くのだけは不可能だろうなあ予定通り。
二次創作同人誌を見るとき、原作との差違を検出するのが好きだ。
その差違に、その人の心の望む方向性、埋まりきらなかった想いなどが、
色々な方向で存在するのが分かるから。

原作の表現に比べて、原作の表現に追加して、
一体何がどうなっているのか? 例えば?
キャラクターの性格がより素直なのか、
涙もろくなっているのか、
皆から溺愛されているのか、
故人が幽霊になって話すのか、
誕生日パーティーがよく開かれているのか、
性別が逆転しているのか、
記憶が無くなっているのか、
順当な流れの未来が描かれているのか、
恐らくあったであろう過去が描かれているのか、
人々の支持を受けているのか、
格好悪い一面を見せているのか。

書き手の、というか、人間の心の動きが生で見られる気がする。
生で……そうだな、そういえば
綺麗な形に落とし込む技術を持った職人の作や、
複数の人が関わったりした作品にはその動きはもう見えないかも知れない。
それは魂としては調理済みの逸品として三つ星であってくれれば有り難い。
そういえば、技術が未熟であればあるほど生度が高い気もする。

で。
もしも自分の書いたものがそんな風な目で値踏みされていたらどう思う?
と聞かれたら勿論イヤだ。そうされてると知ったら多分かなり堪える。
しかし同時に自分は、
そういう物の見方をする人間が決して冷たいロボット人間なのではなく、
熱くなりすぎなほどヒートしたりもしているのだという事を、
理屈ではちゃんと知っていはするので、己でもって。
そしてその視線が律儀なまでに平行である事も。
あ、上の相手にも平行なのは申し訳ないけど。
同じ遊びを趣味にしている人は他にも居るんじゃないかと思うんだけど、僕の趣味は気に入った物語のメインキャラクターを一人追加で考える事。ルールは他とのキャラ被りが無い事、登場に必然性がある事。魅力的なエピソードを思いつける事。主人公を食わない事。
僕たちは撞着語法を多用することによって容易に中二病の深淵へ足を滑らせる事が出来る。
 
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