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ココは元S-Silence管理人の日記とかエッセイモドキとかが徒然とごにょごにょしている空間です
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接続詞が苦手だという人が居たけれど、それは接続詞に固執しすぎているからではないかと思う。
接続詞なんて、そもそもそんなに種類がないから語彙の問題じゃない。
気になるのなら使う頻度を減らす方向を考えてはどうか。
接続詞がどうしても必要になると思うのは逆説の時だろうか。
試しにやってみる。


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●まあ普通に接続詞を使うのも手だよな。

いままで晴れていた。しかし雨が降ってきた。


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●使えるのは接続詞だけとは限らないよな。

いままで晴れていた。一転、雨が降ってきた。


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●前文に担わせる手もなくはない。

晴れとの予想は裏切られた。雨が降ってきた。


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●言い方を変えて情報量を増やしたりもできる。

天気予報は晴れだった筈が、葉が打たれる音が鳴り始める。


(朝に天気予報をチェックしていたらしき人物像。その場の聴覚情報、樹木があるという情報。)


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●文の長さや内容によっては倒置してみるとか。

雨が降り出し、晴れは終わった。


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……という話を本人に宛ててするわけにも行かないのが、もどかしい所だ。
こんなことゆったら通りすがりのウエメセと思われること請け合いすぎる。
実際には、自己分析と同じように他者を分析してみてるだけなんで、これが本当の親身ってやつなんじゃが。

ワシはしたり顔で話すが、同じくしたり顔で同意や反論をしてくれるのを待っていたりもする。
そっから議論をしつつ酒を飲む、とか大好物だが、まあ普通は学生の内しか出来ることじゃないのは承知だ。
お笑い芸人には、自身が本気で笑っちゃったらアウトの局面がある。
人を笑かしたかったら自分がマジ笑いしちゃダメ。泣かしたかったらマジ泣きしちゃダメ。
もちろんそうじゃない手法もあるだろうけど、でも私はクソ真面目にギャグかますヤツを見て笑うことが多いし、無理して笑う人を見た時に泣きそうにもなる。
騒々しいぞ。世界が闇にでも包まれたか。
光を取り戻したいなら岩戸の前でちゃんと踊れ。
不浄を吐くな。
そのような汚濁を見に現れるのは光ではない。
ターニングポイントは自分が作れ。
楽しさは誰かが与えてくれるものではない。
いや、そうでもないな。
踊れなくなった者は楽しさを待つしかない。
ならばせめて泥を撒き散らかさずにこらえていろ。
踊れる者たちの足をぬかるみに引っ張るな。
歯を食いしばって黙って見てろ。
そうすれば天性のストリッパーが本物の平常運転ってヤツを見せてやる。
ワシの好きなゲームミュージックTOP3

●サガ2 秘宝伝説「死闘の果てに」
https://www.youtube.com/watch?v=93KI9kNyp1c

●勇者の挑戦 (DQ3 大魔王ゾーマ戦 BGM)
https://www.youtube.com/watch?v=UrT2OcDyZtM

●ディープダンジョンの1Fの曲。
https://nico.ms/sm12450713?from=102
他人を気づかえる能力と、他人が気にならない能力は、トレードオフの関係にあると思う。
気が付かないと気遣えない。私はその傾向にあるので、例えば会食に出向いてそつなく振る舞ったりするのが苦手だ。反面、色々な人の意見に平等に耳を傾けたりは得意な方だ。
何しろ他人にあまり興味が湧きにくい体質なので思考がデジタル寄りでいられる。
つまり、色んな人が居るよねと思ってしまえるほど薄情なのだ。
大昔のことを思い出した。
イベントに参加したらほぼ友達の数だけ新刊が売れてた。
友人以外の購入は2~3冊程度で虚しくなり、イベント生活から撤退した。
それは奥付に住所があるほどの昔だけど、ネットに切り替わった今でもあの義理購入の虚しさは忘れていなかったようだ。
私は同好の士との交流には随分と及び腰である。
そのいいねは、私の文章を好きでのこと? それとも友達相場なの?
友達ゼロ人ならその辺が分かりやすい。
社交の持久力のない私には好都合でもある。

友人以外からのコメントはとても嬉しい。
何の義理もないのに発してもらえた価値は大きく感じる。
普段はコメントしないのですがなどという枕詞が付いたら最高だ。
長文メッセージもなかなか書いてもらえるものではない。
母国語ではない感想をくれるのも然り。
全くの別ジャンルからの来訪者も。
私はハードルを超えさせ得たと実感できる。

また大昔のことを思い出した。
SNSはまだ無く、便箋に次のイベントの予定と前回の先方の新刊の感想を書き添えて郵送する。
何人もにする。感想を書きづらい人には、大きな絵でほとんど文字スペースのない便箋を使う。
そして私の受け取る感想も友人からの物しかなかった。
順当だ。その時分の私の話など、誰が可愛いとか格好良いくらいしか感想の書きようがない。

たとえ友達でも特別扱いをしてくれるな、いや、友達ならむしろ面白くない所は教えてくれ。
しかし大人になってからの出会いでそこまで親密な人付き合いは期待できない。
でも友達が欲しくないわけではない。
でもこの気質で作るのは間違ってる気すらする。
もしかすると、こんにちはと言うのは別れの時間になってからかも知れないくらいだ。
自身の取扱説明書をプロフィールに掲げる人が過半数を超えている文化に立ち入って、私は私の身の振り方を考える。
結論として、私はなるべくプロフィールをシンプルにすることにした。
私自身は、私をこう扱って欲しいという期待が殆どない。どうもされたくないという事ではなく、そちらに合わせるという意味でもなく、上手くやっていけたらイイよね。くらいの感じだ。
地雷とやらもあまり無く、また多少は踏まれたとしても、日常生活では地雷を踏んでくるヤツくらいゴロゴロ居るが何とか穏便に対処しなくてはならないものなので、同じく生きる上で上手く捌いていかなければならないものの一つと認識している。

私と友達になる方法はこうですと手の内をさらさないと正解が選べない人は好みじゃないのと共に、私は私の知ってる正解じゃないのをぶつけてくる人が好みだ。
こんなことばっかしてるので私は大体はボッチっている。
合唱とかしてると、メンバーの意識の違いってのは感じる。
スポ根で上手く成りたいマンと、
皆で楽しく過ごせたらOKマン。
これがなかなか、溝が見えないのに深い。

プロの現場でない限り、スポ根マンの方が生息数が少ない。
だから大体はスポ根マンが、楽しくマンの群で過ごす。
楽しくマンの振りをして楽しいねって言って過ごす。

ソロで出来る趣味の場合は、振りはせずに過ごせるだろうけど。
実はスポ根マンは、仲間が欲しくないってわけじゃない。
同じくスポ根してくれる仲間と、
ハードなトレーニングのあとに、楽しいねって言って過ごしたいのだ。
素人BL小説への感想は多分みんな割とこんなカンジなのでは


●これからという時にお話が終わりましたね

●地の文には視点というものがありまして

●ええっと今の行動をしたのは誰?

●改行さえしといたら読みやすいってわけじゃない

●恋に落ちるまでの過程がほしいんですけど

●容姿しかイイトコないのかそのキャラは

●いちゃいちゃするだけ?

●独白するだけ?
マジメに不真面目なことを語ってみるけど、その手のカップリングでは、片方を女に差し替えても成立する関係性は考えない。
言わば、攻×攻、という感覚だ。男×男なのだから本来は当然の感覚の筈だ。
まあその辺を話し出すと、単に言葉のチョイスが違うだけで同好の士でも意見が食い違ったりするので、出来上がってきた作品だけ見て解釈する方が良い。
 
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