梅核気(ばいかくき)
http://www.dokutoruyo.com/toyoigakusindan139.html
太衝(たいしょう)
http://www.shinshin.info/self_shiatsu/futsukayoi.htm
取れる時は、蛙みたいに、ぐげーと空気が鳴って抜ける。
練習するとチョット任意で出来る。
人生を切り開く事が出来ないとしても、自分の心を切り開く事は出来る。
その左右の広がりを述べると、
自分の心を切り開く事は体の内外に友人をつくる事であるし、
自分の心を切り開く事は人生を切り開く事でもある。
よう俺。
端から見てて思うんだが、お前が書いた後に『これは失敗作だった』って思わないのは十回中に一回くらいしかないぞ。後の九回は『これはがっかりさせたかも知れないな』とか何とか言ってる。そんな時ばっかだ。
ゆえに比率から言うならば、そのメイビーがっかりな出来がお前の本当であって、残りの一割が偶然のスーパーヒットなだけだ。
つまりどういう事かと言うと、今のその感情は唯の被害妄想だから忘れて先に行った方が良い。
つまり何が言いたいかと言うと、無駄だ。どっちにせよ終わった事は変えられねえんだからよ。
次に何か書いたらその恥を忘れるから、逃れる為には書けば良い。
君が此処に来るずっと前からこの木を眺めていた。七時間前には燃やそうとしてみたけれど火が付かないからこんなに大きくなった。梢が何処に届いているのかを想像したらそうなるからよしなさい。もうすぐ此処にも雨が降るね。傘はさしても擦り抜けるから要らないよ。手を大きく広げるとこの木の気持ちがよく分かる。空の青も日の光も、雨粒の一つも全部大きさは同じ。私の想う限りの大きさだと。
基本的にこの時と同じ状況だろ俺ー!!
http://skrdiary.blog.shinobi.jp/Entry/630/
じゃあその後に書いた日記も掘り返しとくかー!!!!wwww
http://skrdiary.blog.shinobi.jp/Entry/633/
……まあ、明日から頑張れ。
以下、自分用メモ。
天空の魔導師で、タニアの「まるで別人みたい」が言い訳っぽく聞こえた所。
ワンクッション、というか、ワンステップ足すだけで良かったんじゃないか。
・自分の役目への疑問、だけでも良かった。
・徐々に表情を変えてた、だけでも良かった。
読んでるっていうよりは眺めてる。
流動食みたいに顎が疲れないから。
その内に眠くなる。
それは山にはえた木。大きな構想の一部。
空想は物語の破片のみ。パズルのピースを一つなぞる範囲の散歩だ。
(日記を書く折にも推敲を重ねるが、
そう言えば推敲前の文章は一度も記録した事が無いので、
試しに、留め置いてみよう)
ぺらり、ぺらりとページを捲っていくと、
何となく読み返していただけなのに、徐々に深く読み込み、
捲るのが遅くなっていく。
いつもながら面白いなあ、と思う。
ギャグをこなすキャラでシリアスも描いてしまうのは、
僕には出来ない芸当。
そんなこんなを差し引いても、人に訴える展開をコンスタントに描ける、
それは実力の他、何もないな。
これをかいたのが自分だったら、とか、
これをかけない自分ってとってもしょーもないのではないかしら、とか
原始に近い部分はそう思ったりもするけども、
それは妄想妄想、と散らす。
(やはり分かり難いのではなかろうか)
若干の時間を潰す為、何となく読み返していただけ、なのだけど。
ぺらり、ぺらりとページを捲っていく毎に、
徐々に深く読み込んでしまって、捲るのが遅くなっていく。
そういう作品を、同人界にも幾つか知っている。
読了後、やっぱり面白いなあ、と思うと同時に、
『これをかいたのが自分だったら』とか、
『これをかけない自分は、しょーもない存在なのではないかしら』とか、
雑多な想いが過ぎる。
そういう詮無き悲観が軽く胸に生じたとしても、
即座に散らして平時に戻るのは別に難しい事じゃ無い。
だけど原始に近い部分の自分は、確かに、実に素直な嫉妬をしている。
ゴールが見えてしまった事を見破られたのかどうかは分からない。
けれど走る理由付けは再び濃くされた。
既に一年後の日記を書き終わっていたのだが、予定は予定である。
そのゴールテープの前後に関わらず、しばしは弾を込める作業となる。
8 9 10 11
12.1.18C、19X、20R、21H
4.1.>0
5.?