ココは元S-Silence管理人の日記とかエッセイモドキとかが徒然とごにょごにょしている空間です
サイトがなくなる、と、一人感慨に耽るつもりが、消滅に伴い思いがけず方方からのメッセージを貰っている。仰るとおり、これまではweb拍手から頂いていたシズ誕の祝辞も今年が最後になるだろう。
私が青春時代を詰め込んだ文章サイトが尽く作品をweb上に残さず消えたのは、確かに私自身が痕跡を残すまいとした結果ではあるのだが。しかしながら骨も残らないというのは、現在なにも書かない身としては勝手ながら寂しいものだ。引退という感覚に近いのかも知れないが、野球選手じゃあるまいし。主観の引退感に過ぎない。
隣の人にどれだけの面白さが詰まっているのか知る機会は少ない。道を歩く人が、一緒に働く人が、それぞれどんな要素を抱えてるのか、普通は見せないし見えない。
この頭蓋骨の中の憂いも喜びも世間の人には見えず、私もただ人間の外観なだけだ。全ては取り出して披露するルートなくしては最初から無いものと同じだ。そのルートを表現と呼ぶと思ってる。
人前で泣けるか? それは一種のルートだ。頭の中身を外に出す。
例え床を鷲掴みにして震える程の感情も、ルートが無ければ世には存在できない。
私の場合は人前で大笑いする事は多々あっても、一粒も泣くことはない。その私の文章が哀感、ペーソス、カタルシスの言葉を以て評される事が多かったのは、果たして偶然なのだろうか。
かつてはルートを磨く事ばかりに精を出したが、今は殻の中身をぐるぐるかき回している。10年か20年、何も書かないだろうなと思ってからまだ今が数年目。次に何かを書く時はあるのか。あるなら私は果たして同じ名前なのだろうか。今はまだ何もない。
私が青春時代を詰め込んだ文章サイトが尽く作品をweb上に残さず消えたのは、確かに私自身が痕跡を残すまいとした結果ではあるのだが。しかしながら骨も残らないというのは、現在なにも書かない身としては勝手ながら寂しいものだ。引退という感覚に近いのかも知れないが、野球選手じゃあるまいし。主観の引退感に過ぎない。
隣の人にどれだけの面白さが詰まっているのか知る機会は少ない。道を歩く人が、一緒に働く人が、それぞれどんな要素を抱えてるのか、普通は見せないし見えない。
この頭蓋骨の中の憂いも喜びも世間の人には見えず、私もただ人間の外観なだけだ。全ては取り出して披露するルートなくしては最初から無いものと同じだ。そのルートを表現と呼ぶと思ってる。
人前で泣けるか? それは一種のルートだ。頭の中身を外に出す。
例え床を鷲掴みにして震える程の感情も、ルートが無ければ世には存在できない。
私の場合は人前で大笑いする事は多々あっても、一粒も泣くことはない。その私の文章が哀感、ペーソス、カタルシスの言葉を以て評される事が多かったのは、果たして偶然なのだろうか。
かつてはルートを磨く事ばかりに精を出したが、今は殻の中身をぐるぐるかき回している。10年か20年、何も書かないだろうなと思ってからまだ今が数年目。次に何かを書く時はあるのか。あるなら私は果たして同じ名前なのだろうか。今はまだ何もない。
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