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ココは元S-Silence管理人の日記とかエッセイモドキとかが徒然とごにょごにょしている空間です
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自分の10年前のブログを見たら、物凄く長い。
こんなに長い。読む気がしない。
http://skrdiary.blog.shinobi.jp/Entry/921/

はっきし言って、長文を読める人は、若い。元気。
ワシはもうだめ。
短歌とか俳句っていいよね。短いから脳が省エネだね。

でも俳句は俳句で、別の力は要るよね。想像力とか。
想像力は人生経験で出来てるから、ワシも道半ば。
解説を聞かないとしばしば分かんない。

たくさんだと全部ダメってわけじゃない。
俳句だっていっぱい読めば文字数は多い。
ただ一単語ごとが必然であればいいんだ。
重複描写や、自然と察せられるような事までが、記されちゃってなきゃあ大丈夫。
もしあったら、全部を読解する元気がないから流し読みになっちゃうからね。



減筆、大事。
……上の6文字がエッセンス。これだけでも通じる人には通じる。


脳の回転が早く、タイピングの指も逸る若くて元気のある世代の内は、ついつい大量の文字数で説明の限りを尽くそうと頑張ってしまうものだが、読む人の脳は文字を追いかける視覚、そして意味を捉える言語機能を働かせるだけでもエネルギーを消費し、積み重なると疲労を覚えるものだ。その疲労は続きを読みたいと思う推進力を削ぐので、なるだけエッセンスだけを残す減筆を施し、その内容の広がりは読み手の実力、想像力に任せることが大事だ。まあ若い読み手を想定してるなら大量文字数を読む元気があるだろうし、逆に人生経験からくる想像力の方がまだ乏しいだろうから、場合によりけりだろうけど。ちなみに発表する文字数が少ないからと言って、書く手間が減るわけではない。むしろ増える。一旦は長文を書くからだ。減筆とは、そこから内容をしぼませずに文字数を減らす為に、更に時間を重ねる事なのだ。
……上のn文字が、10年前のワシの書きそうな文章。


若くて脳が元気な内は、タイピングした長文がもったいなくて全部出しちゃいがち。だけど読む方の脳は元気とは限らないし、疲れると本を閉じちゃうからね。相手の読解力を信じるなら減筆したほうがいい。大丈夫、読者は案外わかってくれるさ。でも言っとくけど、少ない文字でキメるのは長文を書くよりも時間がかかるぜ。
……上のが現在のワシ。くどくど言わんでも内容は一緒のはず。


さて、あと10年経ったらどう書いてるかな。
精神の安定力を自己分析するに、ココ20年で攻撃に対する耐性は爆上がりした。
おそらく歳のおかげ。
しかし例えば
「このクソ汚い部屋の掃除を頼めるのはキミだけ。頼りにしてるよヨロシク☆」
とか突然に言われたら、理不尽を感じつつも、
膨大な作業量に対するシミュレートを止められずエンドレスに頭が回転しすぎて吐き気がしてくる。
お笑い芸人には、自身が本気で笑っちゃったらアウトの局面がある。
人を笑かしたかったら自分がマジ笑いしちゃダメ。泣かしたかったらマジ泣きしちゃダメ。
もちろんそうじゃない手法もあるだろうけど、でも私はクソ真面目にギャグかますヤツを見て笑うことが多いし、無理して笑う人を見た時に泣きそうにもなる。
他人を気づかえる能力と、他人が気にならない能力は、トレードオフの関係にあると思う。
気が付かないと気遣えない。私はその傾向にあるので、例えば会食に出向いてそつなく振る舞ったりするのが苦手だ。反面、色々な人の意見に平等に耳を傾けたりは得意な方だ。
何しろ他人にあまり興味が湧きにくい体質なので思考がデジタル寄りでいられる。
つまり、色んな人が居るよねと思ってしまえるほど薄情なのだ。
自身の取扱説明書をプロフィールに掲げる人が過半数を超えている文化に立ち入って、私は私の身の振り方を考える。
結論として、私はなるべくプロフィールをシンプルにすることにした。
私自身は、私をこう扱って欲しいという期待が殆どない。どうもされたくないという事ではなく、そちらに合わせるという意味でもなく、上手くやっていけたらイイよね。くらいの感じだ。
地雷とやらもあまり無く、また多少は踏まれたとしても、日常生活では地雷を踏んでくるヤツくらいゴロゴロ居るが何とか穏便に対処しなくてはならないものなので、同じく生きる上で上手く捌いていかなければならないものの一つと認識している。

私と友達になる方法はこうですと手の内をさらさないと正解が選べない人は好みじゃないのと共に、私は私の知ってる正解じゃないのをぶつけてくる人が好みだ。
こんなことばっかしてるので私は大体はボッチっている。
合唱とかしてると、メンバーの意識の違いってのは感じる。
スポ根で上手く成りたいマンと、
皆で楽しく過ごせたらOKマン。
これがなかなか、溝が見えないのに深い。

プロの現場でない限り、スポ根マンの方が生息数が少ない。
だから大体はスポ根マンが、楽しくマンの群で過ごす。
楽しくマンの振りをして楽しいねって言って過ごす。

ソロで出来る趣味の場合は、振りはせずに過ごせるだろうけど。
実はスポ根マンは、仲間が欲しくないってわけじゃない。
同じくスポ根してくれる仲間と、
ハードなトレーニングのあとに、楽しいねって言って過ごしたいのだ。
あいつならきっとやってくれる。そう思ってくれるまでやる。
時としてそれが自分の言う所の自己紹介ってやつだ。
会話でどもる人間は自分と同カテゴリだ。まあ度合いはあるが。
より凄めの人へ、見様見真似で生きてきた人間からのアドバイスをするとすれば、対人の緊張感はなくそうと思っても無くなるものではない。なので諦めて擬態をする方がラクだぞ。

落ち着いている時の自分を理屈で覚えてその擬態をする。
ひとつ、胸ではなく腹を膨らませて長い呼吸をする。
ひとつ、低めの声でゆっくりしゃべる。
この二個でまず自分を騙す。態度が変われば自動的に変わるものはある。
その際に特に自分なんて信じなくてなくてもいいし、心拍数が高いままでも大丈夫だ。ただそう動くことだけで十分だ。

もしピンとこないなら、胸だけで速い呼吸をしながら高い声で早口に喋って緊張している時の自分を再現してみて欲しい。その逆が分かってくることもある。

 いつまでも顔面の若さを求めているようなCMがテレビに流れる度に、昔から目を眇めて見ていたところはあったし、今でも割とそうだが。
 自分は以前ほどマメではなくなったな、という、今まさに胸中をよぎった思いも若さを惜しむという意味なら同じなのかも知れない。あの気がついたら1年に400回くらいブログを更新してました、などという継続燃焼はこの先にはもうないだろう。
 ならば、昔よりも良くなったことは何かあるのか? と言うと一番に挙がるのは緊張をし難くなったことだ。初めてに類する局面というものが少なくなってきたからだろう。緊張感がないとも言えるので良し悪しかも知れないが大概はプラスだ。
 もう一つ、便秘がなくなった。これは緊張と連動していると思われる。
 それと何だろう。思い切りが多少は良くなったろうか。スペースシャトルのロケット切り離しみたいなイメージかも知れないが、今後へ向かうに当たり余計だと思う物を削ぎ落とさなくてはと考えるようになってきた。それは前進のようでもあり、諦めのようでもあり、感覚的にはむしろ若さを封じ込める作業に思える。
 それとそうそう。昔ならこの文章は3倍くらいの文字数だったな。でも内容量は変わってないだろ?
葬式は無しでいいよ。
積極的に拒否してるわけじゃないけど、されるのは変に思えてね。
なんでそう思うかの理由は特に無いから説明もしにくい。
なんで死んでるのに葬式して欲しいのかも説明しにくいでしょ?
湧いた感情に後から理由を付けるのなら簡単に出来るだろうけど。

別にしたければすれば良いよ。こちらには関係のない話だし。
ただ、私は葬式に出て誰かと故人の話をしても、それに癒やされたりはあまりしない。大体そういうのは一人で風呂とかでしかやれないんだ。悲しい時に人前に延々と引きずり出されるのは好ましくない。
人にまでその感性を求めはしないけどね。でも自分が人の葬式を盛大に催す気になれるかと言ったら、どうかな。

もし皆で集まることがあるのなら、10秒だけ黙祷してくれたら嬉しいよ。
 
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