確かに世の中、政治も仕事も「隙を見せたら陥れられる」というスタンスで
考えておくのが正解である事は多いんだけれど、
そういうトコでの泳ぎ方を叩き込まれると
世の中陰謀だらけ、みたいなコンタクトレンズで目がごろごろする。
郷にいっている時には勉強がてら郷に従う事にしよう。
でも僕の理想はそこではないな。
そしてその理想は実現可能かどうかは兎も角として、
少なくとも自分から始めなければ誰かが実現してくれるものじゃないな。
その口火を切る存在として爆薬は爆薬庫に仕舞っておこう。
殆ど賭けだけど。
YT:小室哲哉 - RUNNING TO HORIZON
http://www.youtube.com/watch?v=T8R3ffshnqU&feature=related
歌唱力より雰囲気が重要だと教えてくれる名曲だと思う。
今まで他県まではるばる買いに行ってましたが。
サイトみつけたー!
http://www.nplan.jp/
カレンダー、A3 ウッディーコットン
一年間のカレンダーを見渡せる上に、
部屋の雰囲気を壊さない、布みたいな風合いの紙。
どんなに近しい人がやっていても、
それが悪くない事でも、
ふとつられてやりそうになっても、
僕だけはやっちゃいけない事ってのはある。
それは例えば青を混ぜる事。
別に君に勝とうなんざ思っちゃ居ない。
唯、僕が最善を尽くした結果が君の敗北なだけだ。
揺さぶられる度に気付き直す。
けっこう揺られる物と、
ぼろぼろに揺さぶられる物の間にはマリアナ海溝がある。
書く人もガンガンに揺れる事が出来ていた時だろう。
何となく、が出来なく成ったのは
それを知っているからでもあるけれど。
確かに彼の言う通り、
悲劇を書く方が容易すぎて、その乱立ぶりに辟易する気持ちも分かる。
だからといって温かな物を書くべきとは言わないが、
それでも感傷は読者の物であろうとは考える。
常識の幅が狭い人々と接する度に、うんざりしたり、馬鹿にしたり、その狭量が恐かったりもするけれど。そうやって自分の生きる道を絞りきって生きている人々の、明るさや力強さ、安定感から伝染してくる安定に支えられているのは確かだ。
朗らかさと力強さを携えるには常識の幅をシェイプして固着させなければならない。
優しさを持つには多くの常識を胸に持っていなければならない。
その二つは両立するという目算のもとに有る行動なのだったのだろうか、このこれは。
僕は沢山の常識を知ろう、理解しようとするけれど、それは沢山の常識を取り入れて動ける訳では無いのだと改めて肝に銘じる。全ては僕という常識の幅が狭い人間がなんとなく身の回りに置いていくクッションなのだ。
いつでも正解だけを見つけ続ける事が正解でも無いし、
人類には自動間違い機能が搭載された。