ココは元S-Silence管理人の日記とかエッセイモドキとかが徒然とごにょごにょしている空間です
いま仕事仲間が部署移動か退職を迫られている刻限だ。長かった。ほぼ理想通りの展開。僕はその人に何もしないという戦いを挑んだ。ただその人より質の良い仕事をし続け、どんなに非常識な事を言われても同じ非常識の土俵に乗るのを堪えた。その人が自滅するまで、ただ誠意を持って仕事をし続けた。
ただ、自分の発言と失言に最大限の気づかいをした。自分の想いを述べる言葉のチョイス、量、相手、言うタイミング、言えるチャンスを逃がさない事。とても地味で忍耐の要る心理戦だった。
プロットは100%の頻度では今のところ書かない生活だな。紆余曲折やシーン転換がない話なら書かないパターンが多い。だが一番多いのは「話は脳内で決まってるし楽勝」と思ってノープロットで書き始めたら破綻して仕方なくプロット書くパターン。ダメジャン。
プロットは綺麗にストーリーラインの全部は書いてないな。主に作者の仕事が書いて有る。例えて言うなら『「ばかじゃないですか」此処で惨めさを存分に表現(のちの裏切りの納得と彩り)』とか書いて有る。脳内パーツの目次なので他人が読んでもイミフ物件。多分多くの人がそうなんじゃ無いのかな。
そして敢えて他人のそれを見てみたい気もする。
いいか……本当のワルとは右の頬を打たれたら左の頬へも誘導しつつ確実に目撃者をゲットする奴の事だ。だが忘れるな。打って来ない相手に対しては常に慈悲深くなくてはワルは完成しない。つまりワルは結構常識人だ。
「私がお助けする事は難しいですね」
(解読:助けたくないぜ)
「あの方は当初から全然私を味方とは思ってくれていなかった様なので」
(解読:奴は俺を敵に回した)
「望まれても居ないのにしゃしゃりでて手出しするのは憚られる状況です」
(本人が頭下げたら手伝ってやる)
意図の物なんだな、プロットっていうのは。作為の物なんだよきっと。
『準備はいいかい、行くよ』と言う風に、彼女を支えて飛び始める。
街並みは架空のマンハッタンで、頭上に高いビルは幾らでも有る。
人を一人支えながらでは、道路の車に擦らない程度の高度より上にはなかなか行けない。跳び越えるべき中堅ビルの壁面は幾つも見える。
落ちてしまうかも。恥を掻くかも。そんな想いはすぐに抑え込めた。漕げば上へ行ける、そう出来る。
指折りのビルの高さに差し掛かる頃、彼女を落としてしまったらどうしようと考える。覚醒時の論理思考に近く考え案を出す。彼女にも飛行能力を持たせられないかとも一瞬考えたが、それも都合は良くない。
彼女に鍵を一つ渡す事にする。これは私の隣の空間への鍵である。もしも落下したなら私の側にテレポートして来てくれ。私が飛び続けている限り、君が落下する事も無い。
この町で一番高い建物、高級ホテルの最上階のテラスへ降り立つ。従業員が訝しげにやってくる。お構いなくという気分になる。
此処がどんなに高くても関係無い。私は彼女を抱えて上へ進路を見ながら漕いでいたので、一度も下の景色を見ていない。
見晴らしもしていない。これからまた上へ飛ぶので。
人に通じなくてイイや、と思って書く文章は、
物語をお送りするのとは全然違う文章だ。芸ではない。
物語を伝えるには、過たず道を辿って貰わなければいけない。
迷路ではいけない。
詩的な物は多少迷路であるかも知れない。
でも人が言うに僕はストーリーテラーに系統される方面に居るらしいので、
多分文章の迷路とは対極に居る。
しかしまあ偶にそれで遊んでも見たい。
なので日記では偶にやっている。かも知れない。
目に物みせてくれるわー! とか、思い知れー! って思ってる時は大体上手く行く。動機が不純でも上手く行くならイイじゃない。いや違うな。言葉使いが不純なだけで、実際にはかなり純粋な闘争心だ。
YT:在日ファンク - 環八ファンク
http://www.youtube.com/watch?v=pfFQxhLL-j0
実の所、オフラインで書いてる物はサイト上の物よりもずっと実験的。