ココは元S-Silence管理人の日記とかエッセイモドキとかが徒然とごにょごにょしている空間です
歌詞とメロディーが一緒に頭の中に現れる時、大体はとても何か伝えるべき感情を持てている時なんだが、それをそのまま音楽として表現する能力がない以上、自分が唯一できるかも知れない方法へ乗せることになる。諦めろ、例えば小説と漫画と動画と音楽を全部ひとりで極める人間はまず居ない。多くの誰もが出口を求めて握り直すのだ。どれだけロスがあるかは知らないが。
尺ってあるよね。
三十分のテレビ番組なら三十分、本なら一巻分の区切りをつけて届けられる。でも起承転結の流れを感じる上では、一時間分、二巻分、ぶっ続けで目を通して欲しいなあ、と思うこともあるのではないか特に最終回とか。
適当にネットにアップするだけなら尺の制限はない。なので自分には、最終回の尺を収めつつも最高へ持って行く、そんな技術は培われなかったのだろうか。いやそれとも案外、綺麗に尺を収めた人も内心では最終回だけ一時間スペシャルにしてくれたらもっと面白い物がお届け出来たのに、と残念に思っていたりするのだろうか。
三十分のテレビ番組なら三十分、本なら一巻分の区切りをつけて届けられる。でも起承転結の流れを感じる上では、一時間分、二巻分、ぶっ続けで目を通して欲しいなあ、と思うこともあるのではないか特に最終回とか。
適当にネットにアップするだけなら尺の制限はない。なので自分には、最終回の尺を収めつつも最高へ持って行く、そんな技術は培われなかったのだろうか。いやそれとも案外、綺麗に尺を収めた人も内心では最終回だけ一時間スペシャルにしてくれたらもっと面白い物がお届け出来たのに、と残念に思っていたりするのだろうか。
「女性には力があると思います」
「女性の可能性を信じています」
……ふむ。いいでしょう。試して見ますか?
「男性には力があると思います」
「男性の可能性を信じています」
……ね。馬鹿にされたと思うでしょう?
「女性の可能性を信じています」
……ふむ。いいでしょう。試して見ますか?
「男性には力があると思います」
「男性の可能性を信じています」
……ね。馬鹿にされたと思うでしょう?
若い頃は何かダウンする出来事があると焼け付くような悔しさを覚えたものだが、徐々に、同じ事態と直面した時に心地が凍結するようになってきた。
勿論、身体の劣化もあるのだろうが、悔しいと思う時間が長すぎた事も原因かも知れない。半信半疑のままのれんを腕で押すのは気が遠くなる。最初は「手応えがあるまで押し続けてやる」と意気込んでいる。やがて手応えの無さに「これは間違っている」と手を止める。そして「手を止めた事こそ間違いではないか」と思い直す。思い直した後も手応えはない。
最も厄介な事は、これが何かの罰では無いという事だ。
勿論、身体の劣化もあるのだろうが、悔しいと思う時間が長すぎた事も原因かも知れない。半信半疑のままのれんを腕で押すのは気が遠くなる。最初は「手応えがあるまで押し続けてやる」と意気込んでいる。やがて手応えの無さに「これは間違っている」と手を止める。そして「手を止めた事こそ間違いではないか」と思い直す。思い直した後も手応えはない。
最も厄介な事は、これが何かの罰では無いという事だ。
歴史って教訓としてなら沢山あって良いんですよ、あっちの歴史、こっちの歴史、視点が違えば歴史は違う。でも断罪について言い始めると唯一の事実が必要になりますでしょ? それは無茶でしょう。現在の世界情勢ですら事実かどうか分からないくらいなのに、ましてや遠い過去など。
人を殺した人しか殺したくないし、
正義を振りかざす奴しか断罪したくない。
本当はね。
正義を振りかざす奴しか断罪したくない。
本当はね。
無礼講じゃー! とか、
好きなようにやればいい、とか、
そういう言葉を鵜呑みにしてはいけない。
それでも皆は僕らの最後の理性を信じているのだから。
好きなようにやればいい、とか、
そういう言葉を鵜呑みにしてはいけない。
それでも皆は僕らの最後の理性を信じているのだから。
冬って言うのはどうにも、正気を保つのが精一杯だ。
しかし何故か意識的に落下を辞めていられるのが不思議だ。
緩い重力の中で、ぶら下がる手を握りしめる感じだ。
しかし何故か意識的に落下を辞めていられるのが不思議だ。
緩い重力の中で、ぶら下がる手を握りしめる感じだ。
自分の人生がイージーモードかハードモードかは一概に言えない。
何の難度を基準にするかに因って違う。
いやしかし唐突に今、
イージーモードなのにクリアできてない、
これが一番しっくりくる事に気付いてしまった。
何の難度を基準にするかに因って違う。
いやしかし唐突に今、
イージーモードなのにクリアできてない、
これが一番しっくりくる事に気付いてしまった。
私が魚であったなら、水は一体どこに有るだろう。
隣の宇宙に浮いてるだろうか。時間の彼方にあるだろうか。
このままでは脚が折れる。
命には限りがあるが、燃え尽きるまでには辿り着けないだろう。
一歩では少なすぎ、立ち止まらずとも景色に追い越される。
再び駆けるには道を外れすぎた。荒れ地に足を取られる。
そうして何処に続くだろうか。先に水はあるだろうか。
そのとき飛び込んだ私は魚なのだろうか。
隣の宇宙に浮いてるだろうか。時間の彼方にあるだろうか。
このままでは脚が折れる。
命には限りがあるが、燃え尽きるまでには辿り着けないだろう。
一歩では少なすぎ、立ち止まらずとも景色に追い越される。
再び駆けるには道を外れすぎた。荒れ地に足を取られる。
そうして何処に続くだろうか。先に水はあるだろうか。
そのとき飛び込んだ私は魚なのだろうか。