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ココは元S-Silence管理人の日記とかエッセイモドキとかが徒然とごにょごにょしている空間です
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「すみませーん、物品転送お願いしまーす。あ、おんなじコンビニ宛も出来るんですか? あーでも家の近くにないし、この登録の自宅宛にします。品これだけです、スーパーで買った食料品が重かっただけなんで。ああまあ重量ベース送料の時代なら辛かったっすねー。でも最近は転送効率よくなって各社、重さ計る手間かけるよりもう転送機に入ったら一律でいいやって感じでしょ? そんだから家に持って帰るだけの物でもつい送っちゃうんですよねー。……え? 転送エラー? 参ったなあ、その座標には物を置くなって家族には言ってあるんですが……ちょっと通話します。もしもーし、いまウチの白い棚の上に誰か物おいてない? うわそれどけて、そこ転送先ポートに指定してるねん。おkあんがとー。すみませんお待たせしました転送お願いします。行けましたか。ああまあ小さなスペースとはいえ登録空間はプライベート全公開な訳ですしねえ、嫌がるお客さんも居ますよね。けどまあこれは安全上、仕方ないでしょうし。質量エラーも出ずに物質押し出されたら怖いですもんね」
……っていう未来まだですか?
Webサイトの外注費だと思う事にしてくそ高いデザインスクールに通うのは払ってる雇用保険の元を取りまくってしまう給付の上限額を狙ってないとも言えないがしかし月々辛いな。給付は全部おさめた後だからな。
ふと、弁当派なら生涯の食費が大分変わるんだろうなあ、と羨ましく思いつつフル外食ランチ派の僕だが、結局手間か金かの問題でのチョイスだからどうしようもない。社員食堂とかあったら理想に近かったかも知れん。
自分一人の為なら頑張れない、誰かの為だから頑張れる。と、いう台詞は何度か聞いたが、では、対象が誰も居なければ頑張れなくても許してくれるか?
子供が居ないからなのか、恵まれない人の為に親身になれないからなのか、非常に強さを与えてくれるらしい「私が頑張るしかないんだ」と思わせてくれるものはいままで特に存在しない。
だからもし私が折れそうな時は、単独で動機を発電し、夢だのプライドだののパッケージ化に成功する必要が有る。雑草よりも疲れる。造花のように疲れる。
孤独でないにも関わらず、私はどこまでも単騎の命なのだ。
うおおお何という健全な記事!百回に一度の快挙じゃないのか!?
……ていう書き出しにするから異臭がするんだと何度言えば。

しかしあれだ、電車の中でiPadを下敷きにしながら紙とペンでお買い物リストを作っている私はやっぱりカテゴリ的には休石器時代人ですよね分かります。

うおお落書きしてたらいつもの駅で降りそうになったぜ。
凄く大きな部屋にあるトイレを使ってみたい。野外で大きくてもダメ。フロアがいい。
多分最初は出ないんじゃないかなと思うんだ、ここはトイレじゃない、的な。
でも、例えば背中に羽をわさわさしょってて、直径2Mくらいの骨入りスカートのドレスとか着てたら、広大なトイレで良かった! っていうか当然ってかんじー。
が、するんですか?
休日、疲れに身を任せた日は、一日に13~15時間ほど眠る。
それ以外の時間は、2~4時間ほど横になっていて、残りは風呂とかだ。食事は寝ていたら飛ばしがちだ。

何故そうなるかと問われれば、眠いからとしか言いようがない。
物心付いた頃から朝に強かった覚えがない。
こびりつくよな眠気に悩まされている。
起きた時に眠くない人がいるなら、それは何と幸せな人だろう。

二日間、日の大半を眠り続けて翌の月曜の今、どうしてまだ眠いのか。気分はいつもよりマシではあるが、眠い。
あと五日間、眠りつづければ眠くない目覚めがやってくるのだろうか?
必要なのは眠り続けられる一週間の休みか?
有り得ない。大抵の長い休みは正月だかの行事用だ。寝ては過ごせない。
果たして私はいつ眠くない人生を迎えられるのだろうか。
多少の絶望感を以って眠気を味わっている。
でもなんだかね無情にも、エロいこと隠さなくていいのは他に残念ポイントが無い場合だけって気がして、そういう意味では僕も実社会ではエロとか無縁キャラで乗り切っている、学生でなくなってからは。
その無情さを簡単な例で言うと、クラスの落ちこぼれが言う猥談と、イケキャラが言う猥談は聞く方の受け止め方が540度くらい違ってしまうという残酷な事実みたいなものだ。

されど脳内はリフレッシュタイムに仕事と全く違う思考を求めるわけで、独り言の癖のある自分はかなり危険な橋を渡っていると思う。
もしも抜けるエロを書けと言われれば割とかなりアホい系列とか好きなので、それを言語表現する想定でぼうっと歩いていると、今日は階段に誰も居なくて良かったなあと、しみじみ思ってしまう訳だ。
自分の方が出来ると思う時には、大まかに分けて二種類ある。
ひとつは、碌にしたことがない故に出来そうな気がしている時。
ひとつは、出来る時だ。

しまった。
と、誰も居ない部屋でひとり身を固くした。
漫画本を購入したつもりが、後半が小説だった。燻る。
頑なに小説だけは手にするまいとしていたのは、この事態を恐れての事だったのだ。
これなら私の方が熱の表れたものが書ける。
その想いを溜息で散らした理由は、スポーツの世界でもない限り自分は相手より上に行きます、行けます、だなんて態度は許されないから、という世間の風潮とは何の関係も無く、もうそういうのは辞めようと決心していたからだった。そういう嘔吐のような事は。

心の、知っている込め方をもう何度繰り返しても、私の表れはこの間と大差あるまい。
だから私は込め方を知っている心をそっと置かなくてはならない。
目的の為に好きである事を慮外にする事をストイックと呼ぶなら、相当ストイックだ。
苦しくはない、始まっていないものを消火するのは、あまり。
『仮説』の対ワードは『予測』だ、ある意味。
仮説というのは、起点から複数の道を伸ばせる。得意であればあるほど道の本数は増やせる。
一方、予測というのは起点から伸びる、一本の道を見つける事だ。得意であればあるほど道の本数は減るだろう。

仮説後に予測。
それがバランスの良い思考経路だろう。
考え得る範囲を広く、見当は的確に。それは理想だ。

そこに偏りがあればどうだろう。
 仮説寄り……迷い
 予測寄り……決め付け
という図式だろうか。

さて、私はというと、極めて仮説寄りの人間だ。以前に私は自らの思考のイメージを、起点から三次元的全方位へ毛細血管のように伸び広がって行ってしまう感じと表した事がある。そう、しまう、のだ。止められない。この特性がプラスに働くのはストーリーを考える時くらいだ。(もしかすると20年以上も続けたそれこそが特性の原因なのかも知れない)
そして私にはこの特技とバランスを取るに足るほどの予測能力はない。

予測に長けた人はどういう感覚で世の中を渡っているだろう。
機会があれば話を聞いてみたい。
選んだ結果、絶対に、なにやってんだろ、なんでこんなことやってんだろ、と思う日は来る、絶対にいつか来る。
選択肢の中には混じりけなしの楽のみが存在するルートなんて滅多に有り得ないし、だとすると僅かなりとも後悔を含まない未来は滅多に存在しないことになる。

そのようして、どんなに賢明な道の中にだって茨があるとして。
実際にはその賢明な道も何度も踏み外すだろう。

現実の選択肢は、無数の各選択肢同士が大きく小さく影響しあい、その天文学的な分岐はもはやグラデーションにしか見えない。

100%の正解など探せるわけがない。それは考えようによっては気楽な事なのかも知れない。道がタダシかろうが、マチガっていようが、払う茨の量が変わるだけなのだから。

なんて言えるのは力に余裕のある奴だけ。
 
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