~以下もよもよ~
結構長く書いてるなあ、あれ。しかし
序盤から中盤は我慢の子、とか思って数年がかりで乗り切ったのに、
終盤になったらなったで、いまいち弾けきれずに居るわ。
こっからがホントに書きたかったシーンの筈なのに、なんでか詰まるー。
あー。カードが出そろうまでの辛抱だと思ってたのになあ。
伏線回収の方法も全部決まってるのになあ。
いざ書いてみるとって何事。
つーか最近このパターンばっかしじゃねーかよ。
ストーリーは定まってる
↓
書いてみる
↓
面白くない
↓
文章にキャラクター性を濃く付加する作業をする(ストーリーは殆ど変わらん
↓
まあこれなら完成って言えるかなってトコに力尽くで持ってく
~以下、考察という名のだらだら書き~
文章にキャラクター性、ねえ。
なんじゃそら。
解説は真実とは違うんだよなあ。
極端な話、
『右手でドアを開け、開いたら左足から入室し、前方を見たら○○が居た』
って書いても、主人格視点の認識として間違っちゃいないんだが。
でもやっぱ、
『ドアを開けたら○○が居て驚いた』
ってのが主人公の主観としては正しい時の方が多いはず。
だって右手だとか左足だとか、意識して開けてる時って少ないだろし。
もしかすると、もっと、
『開いたドアの向こうには、何と○○が居た』
みたいに、ドアを開けたのが自分であること自体が
忘れ去られてる方が、主観的真実に近いかも知れんくらいだ。
僕の言う、文章にキャラクター性、ってのはきっと、
この主観的真実の事だな。多分。
『右手でドアを開け~』を取り止めて、
『開いたドア』と言う、
キャラクターの主観色を含む文に置き換えていく、っていう作業が、
文章にキャラクター性を濃く付加する作業、の主な内容なんだろうな。
それをすると偶に、
キャラメイクが変化して、ストーリーが若干変わる事もあるけど。
でも大抵、全然変わらない。
多分、僕の頭の中に有る事は最初っから同じで、
最初の表現が拙かっただけって事だろう。
だから、何で最初から上手く書けないんだろう、って思うんだけど。
あれだ。
アタリ線がすんごい多い絵描きさんもこんなカンジなのかも知れない。
以上ごちゃごちゃ。