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眠いのでちょっと適当文章。
知れば知るほど、人に共感できるようになるらしいが、
僕はその点、あまり敏くない。
十歳の時分などは、全くと言っていいくらいに相手の意を汲めず、
同情という言葉は蔑みの為にあるのだと思っていたくらいだった。
ただ勇ましく明るいだけだったあの頃を終えてから、
何故か僕は物理的な危機をまるで迎えることなく、
精神的な危機を山と迎える。
心臓を致命傷の1センチ手前まで斬られては、
親切にされて回復し、傷跡を残して癒えたらまた斬られる。
その繰り返しで段々と痛みの内容を知り始める。
他者のそれを察する能力も同時に伸びる。
いとも簡単に感じを取れる人々が居る。
感覚器の無いままに分析器を持つ人々が居る。
僕はそのどちらものなり損ないであるし、
その仲立ちではあれるのかも知れない。
無理矢理に言ってみるならば、
僕の今生は様々な感情を覚える為にあるのではないか。
どこかにおわす御大が
「よーオマエ足りてねえみたいだな。
覚えてこいよ。愚かなオマエをたった一生で想いの賢者にしてやるぜ。
ガンガン胸殴るからキチーけどよ」
とか何とか嘯いて僕を此処に投げて寄越したのだろうか。
もしもそうならば、僕の人生は迷走しているように見えて、
実は一極集中スパルタなのだという事になる。
振り切れる程に嬉しい時と、
振り切れる程に悲しい時と、
振り切れる程に悔しい時は同じ顔をしている。
頭が振り切れる時、
突っ伏して、そうしてあまりに辛かったり幸せだったりする時、
大体、こう思う。
この感覚を覚えておこう。
壁を叩く様な思いとか、叩いた事とかも。