ココは元S-Silence管理人の日記とかエッセイモドキとかが徒然とごにょごにょしている空間です
『仮説』の対ワードは『予測』だ、ある意味。
仮説というのは、起点から複数の道を伸ばせる。得意であればあるほど道の本数は増やせる。
一方、予測というのは起点から伸びる、一本の道を見つける事だ。得意であればあるほど道の本数は減るだろう。
仮説後に予測。
それがバランスの良い思考経路だろう。
考え得る範囲を広く、見当は的確に。それは理想だ。
そこに偏りがあればどうだろう。
仮説寄り……迷い
予測寄り……決め付け
という図式だろうか。
さて、私はというと、極めて仮説寄りの人間だ。以前に私は自らの思考のイメージを、起点から三次元的全方位へ毛細血管のように伸び広がって行ってしまう感じと表した事がある。そう、しまう、のだ。止められない。この特性がプラスに働くのはストーリーを考える時くらいだ。(もしかすると20年以上も続けたそれこそが特性の原因なのかも知れない)
そして私にはこの特技とバランスを取るに足るほどの予測能力はない。
予測に長けた人はどういう感覚で世の中を渡っているだろう。
機会があれば話を聞いてみたい。
仮説というのは、起点から複数の道を伸ばせる。得意であればあるほど道の本数は増やせる。
一方、予測というのは起点から伸びる、一本の道を見つける事だ。得意であればあるほど道の本数は減るだろう。
仮説後に予測。
それがバランスの良い思考経路だろう。
考え得る範囲を広く、見当は的確に。それは理想だ。
そこに偏りがあればどうだろう。
仮説寄り……迷い
予測寄り……決め付け
という図式だろうか。
さて、私はというと、極めて仮説寄りの人間だ。以前に私は自らの思考のイメージを、起点から三次元的全方位へ毛細血管のように伸び広がって行ってしまう感じと表した事がある。そう、しまう、のだ。止められない。この特性がプラスに働くのはストーリーを考える時くらいだ。(もしかすると20年以上も続けたそれこそが特性の原因なのかも知れない)
そして私にはこの特技とバランスを取るに足るほどの予測能力はない。
予測に長けた人はどういう感覚で世の中を渡っているだろう。
機会があれば話を聞いてみたい。
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