ココは元S-Silence管理人の日記とかエッセイモドキとかが徒然とごにょごにょしている空間です
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そもそも、物語の主人公のようなシリアスで劇的な半生なんて送っちゃいない、それに比べりゃ何の不自由も無く育った筈の自分が書く文章が、なんだって悲しい情感があるなどと表されたりするんだかな。
悲しいからだよ、と大手を振って言えたら話は早いんだが、このぬるま湯のような個人情報を見て、ああそれは悲しみのある人生だろう、と言う人は居るまい。
でもやっぱり悲しくなくて悲しい文章が書けるとは思わないので、つまりこれは悲しい道を歩かなくても悲しくなっているというのだろうか。それがもしも実体が無くても過剰に催してしまう悲しみ病というようなものだとしたら、本物の悲しい出来事がやってきた時には針が振り切れておかしく成ってしまうだろうか。
いや、何となくだが、やってきたそれはいつも通りに悲しい事と同列あるような気がする。つまりとても悲しい事だ。
何が言いたかったんだっけ。
そうだった、私には割と頻繁に悲しさがある。残念な事にそれがある種の原動力になってしまっている。
当初それを噴射する手段として何らかの物語を書く行動をとっていたのだが、ブログができ、ツイッターができ、徐々にガス抜きが簡単になってしまった。
少しくらいは圧力を高め直そうと思っている。
そもそも、物語の主人公のようなシリアスで劇的な半生なんて送っちゃいない、それに比べりゃ何の不自由も無く育った筈の自分が書く文章が、なんだって悲しい情感があるなどと表されたりするんだかな。
悲しいからだよ、と大手を振って言えたら話は早いんだが、このぬるま湯のような個人情報を見て、ああそれは悲しみのある人生だろう、と言う人は居るまい。
でもやっぱり悲しくなくて悲しい文章が書けるとは思わないので、つまりこれは悲しい道を歩かなくても悲しくなっているというのだろうか。それがもしも実体が無くても過剰に催してしまう悲しみ病というようなものだとしたら、本物の悲しい出来事がやってきた時には針が振り切れておかしく成ってしまうだろうか。
いや、何となくだが、やってきたそれはいつも通りに悲しい事と同列あるような気がする。つまりとても悲しい事だ。
何が言いたかったんだっけ。
そうだった、私には割と頻繁に悲しさがある。残念な事にそれがある種の原動力になってしまっている。
当初それを噴射する手段として何らかの物語を書く行動をとっていたのだが、ブログができ、ツイッターができ、徐々にガス抜きが簡単になってしまった。
少しくらいは圧力を高め直そうと思っている。
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