人生では誰でも度々
「これは目立つことだろうな」という局面が、
パフォーマーの役目が回ってくる局面が、
有ると思う。
学芸会や合唱会だったりするかも知れない。
研究発表だったり又、その他のプレゼンテーションかも知れない。
推薦や立候補などで選抜の少人数なのかも知れないし、はたまた、
全員が一度はソロで喋る番が回って来るような、そんな、
例えば自己紹介の機会とかかも知れない。
いつからだろう、目立つのを厭わない自分の性質に
言い訳しなければいけない気分になったのは。
目立つのが好きな人、と人が口にする時、
それは褒めているのか。貶しているのか。
僕が目立つのを厭わないのは、
もちろん幾ばくかの自信が有る場合もあろうが、
基本的には、目立つに備えての学習や反復練習を厭わない場合である。
一生懸命誠実にやった、だから何も恥じる事は無い。
とだけは言い切れる様にして置くからである。
そういう問題ではない、と言う人は居る。それも分かる。
結局自分もそういう問題ではなくドキドキドギマギしているクセに
それを隠しているだけという側面も有るからだ。
隠すと言う事は徹底的に立ち向かうという事である。
物事には、80%だけ本気、などと言う事は無い。
本気か、本気じゃないか、のどちらかなのだ。それが本気と言うものだ。
ちょっと様子を見つつ徐々に本気、とか、
そんなのは本気というその本質的には有り得ない。
心のリミッターがやや高回転域に設定されている僕だけれど、
やはり人から眉を顰められたりするのは好きでは無い。
けれど80%は無い、のであれば、
周囲のリミッターを上方へ吹っ飛ばすまで本気になるしかないのだ。
何も考えずそうであるかの様に見えたなら、それがベストだ。