http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news4/article.php?topicsid=31&pack=CN&storyid=240706
放射能と言えば、最も『もうだめだ感』が漂う最終兵器と
古来、戦艦ヤマトの時代から決まっていたのに!
何とかなっちゃうかも知れないの!?
常識って日々変わるなあ。
最初、RPサイトから始めたから、字書きサイトとしては、構成おかしいし。
なんか、流石に、そろそろ、サイト改装したい……けど……。
結局、箇条書きで、コンテンツ並べるのが、一番好き、だし。
つーかcssもまともに使いこなせてない身じゃ、
文字色変えるだけだって大作業になるの目に見えてるし、
やっぱTOPだけ変えりゃいっかなんて考えになって、
揚げ句それじゃ大してやる価値ないやって、
思って今日も今まで通り。
「頑張ってるね、偉いなあ」
「凄い。努力家ね」
こういう褒め言葉が嬉しくない理由を探ってみた。
・自分ではもっと頑張るべきだと思っている指数3
・微妙に上から目線を感じないでもない指数1
・頑張っている所は格好悪いので余り人に見せたくない指数1
・頑張っている事を主張してしまっている堪え性の無さに忸怩指数5
・楽な方が好きなので頑張りたくないのに褒められるとプレッシャー指数4
・ていうか大体コレ言ってくる人の方が頑張らなさ過ぎなだけだと思う指数5
・努力量よりパフォーマンスのクオリティを評価して欲しい指数9
英語でブラックアイと言うと、殴られて目の周りが黒い事らしい。
日本人の目を表すならダークブラウンアイズらしい。
と言う余談は置いといて。
俗説として、虹彩の色が薄い人は大らか、
濃い人は神経質な性格をしている事が多いとか。
ホンマカイナ。
A「なんですが、最近の日本人は虹彩の色が薄くなってきてるみたいです」
皆「へー」
僕「そーいや君めっちゃ茶色いなー」
B「SKRさんは真っ黒ー」
大多数の人はサイレントだ。
だから私は、こう信じる事にしている。
一件のコメントが頂けたならば二十人は見ていると。
そう信じなければ書いていられない。
修行中の時間なんて果てしなく長いんだから、
未完成水準の時代にだってモチベーションを上げる反応を貰わないと、
後が続かない。
だから僕は日々自己暗示で過ごす。
きっと誰かが読んでくれている。
だってカウンターが回っているもの。
そして、カウンターの無いこのブログの場合はこうだ。
唯、信じている。
お別れの日にこう言い置かれた事が有る。
「SKRさん、貴方はパワーのある人と付き合わんとあかんえ」
発言者の正確な意図は分からないが、その通りだと思う。
僕はどうしても人を“押してしまう”。
自然な言動で人付き合いをすると、
発言、行動、主義、感情表現、等で相手を“気圧され人”にしてしまう。
だから圧力の弱い人と接する為には、此方には手加減が必要だ。
同じ圧力の人となら、自然な力加減で接し合えるので楽だ。
パントマイムで壁に触れるように相手を圧迫しない、
自然体の演技を含む接し方をするのも、イヤではないのだけれど。
やはり多少はパワーのある人が相手であると、
手応えがあって、かつ楽なのである。
僕は造形美術が大好きだ。わくわくする。
中でも、やはり服飾はもえる。
だから僕がコスプレ観賞をするにあたっては、
実は中の人の顔はどうでも良かったりする。
注目するのは服の造り。
言ってみるならファッションとしての完成度である。
モードの世界によく聞いた褒め言葉として
『洗練されている』『高級に見える』と言うのがあり、
又、よくあるダメ出しには
『馬鹿げてる』『安っぽい』と言うのがあった。
全くその通りだな、分かり易い言葉だ、と思う。
パッと見ただけでも感じる服の印象、『イイな!』と『イヤだ』の違い、
それを端的に纏めてると思うのだ。
良し悪し、その違いが何処から生まれてくるのか。
生地は最適なのか、
仕立てはよいのか、
ディテールはどうか、
シルエットはどうか、
フィット感はどうか、
トータルで見た時のバランスはどうか。
質感、色合い、形。割合、総合美。
そういう目で見て、ただ『何のキャラか分かれば良い』のではなく、
『そのままランウェイに出ても美しい』って物を目にした時、
初めてそのキャラがそこに立っているわくわく感が得られる気がする。
(でも、今んとこそこまで思えたのは
どっかの誰かがやってたFF6のティナくらいかな。
柄物の布と、じゃらじゃらの色とりどりアクセサリーを着けて尚
トータルコーディネートが成り立ってるのは技術を感じた)
まあ個人的趣味の話。
基本的にはコスプレは本人が楽しむ為に着るもので、
周囲に居る僕が見て楽しんでいるのは副産物みたいなモンであろう。
でもやっぱしいつも存分に楽しませて欲しいと期待してる。
古代服飾の房やドレープ、近代服飾の洗練されたシルエット。
それも良いが。
ルネサンス、ゴシック、ロココ辺りの衣装を納めた美術館は常軌を逸してる。
芯を入れろ、刺繍を入れろ、布を重ねろ。
見ろと示す為の大仰な仕掛けと強烈なディテール、
あの眼前30センチに寄って凝視しても美しく見所の有る造形。
そこを目指してやる、みたいな人が
コスプレイヤー全体の10%くらいはいて欲しいな。っていつも期待してる。
「私は指が長すぎるのよね」
その小さな呟きを耳にした時、日常によくあるような軽いぼやきだと聞き流した。
幾らかの談笑の後、テーブルの下で貴方はそっと指を隠し終えていた。隠された事に因って、それがわたしの思っていたよりも深い傷であったのだと意識した。だから今、貴方の長い袖が深い傷を完全に隠しているのに、わたしはその見えない箇所に指を思い描きながら見詰めてしまう。わたしはその長い指の形を気に留めて覚えているくらいには好きだったので。
言うなればこういう心境。
リアルの知り合いでS-Silenceを知っている人は居ない。
別に同趣味の人になら見せてもイイや、と思っていたのだが、
今までは偶々上手い具合に周囲にホモ好きが居なかったのである。
そうこうしている内に当サイトは徐々にブログが嵩張りだして、
記事内容もリアル友人に見せるのは危うい所まで来た。
文章ゾーンとリアルを一切交えてはいけないな、と方針を改めた。
そして今。
とある素人婦女子さんが現れた。
彼女が名乗った通りに表記すると“腐女子さん”である。
なにゆえ素人としたかというと、B-Boy等の商業誌のみを領分とする方で、
同人は興味があっても未知の世界らしい。
なのでまあ、バリバリの人達から見れば素人さんの類であろう。
実際、其方の世界には強くない僕程度の応答だけでしきりに関心している。
一応服飾系の場所で出会っているので、
文の創作とは完全に切り離してあるコスプレ衣装の制作ブログを教えた。
小説も読みたいとは言われたがお断りした。
彼女は危険な香りがするのである。
知っている事はしつこく教えてくる。知らない事はしつこく聞いてくる。
それは属性の範疇ではなく人格自体の質とも言える。
『アレも作ってくれ』『コレも見せてくれ』という要求に
生半可な笑みで曖昧に返しながら、何度かした提案をまた繰り返す。
「たくさん見たいなら手っ取り早くネット上のコミュニティサイトにでも
メンバー登録したら凄い人のをいっぱい見られるよ」
彼女は嬉々として言った。
「やってる人の普段の人ととナリを知ってるからおもしろいんじゃん!」
僕は偉そうにこう返したくなる。
「僕なんかのを見るよりももっと上手い人の良い作品を、良い心持ちで見ておいでよ。そうしたらきっと作者なんて何処の誰でも構わなくなる。だってそのとき君が素晴らしいと感じる世界を君の中に構築したのは作者ではなく君自身だからね。僕らを見るんじゃなくて、僕らが作った物を見るといいよ。そうでなきゃ『うわあ普段あんなに清楚なあの人が!?』とか、『済ました顔してたけどこんな欲望もってるんだ?』とか、まるで頭が三次元でしょ。僕らの世界には来られないよ。僕らはエンターテイナーであって、辱められる役目は負って無いんだよ? 勿論、同じ趣味の人の中にも色々な人種が居るから、きっと君と気が合う人も居るよ。探してご覧」
以上の、人を見下しきった内心を閉じこめた実際の発言は下記の通り。
「どうかな?」
会話終了。やれやれ。人をあしらうってのは慣れてない。
彼女の発言に僕は虫酸が走っていたなんていう事実は
彼女は知る事は無いだろうし、一生知る必要もない。幸せに生きればいい。
大人だから見本となる行動をしろって?
常識はこうだ。世の中はこういうものだ。
政治もどうせ変わらない。今までだってそうだった。
しきたりだからそうすべき。みんなもそうしてる。
そんな風に非合理も不条理も、経験則なんて物だけに頼って全部受け容れて
今ある物を打ち破り、より良い物を目指す闘志の萎れた人種を大人と言うなら
そんな物には成りたくは無いね。お子様で結構だ。