「やー」
「こんにちは」
「何この絵」
「鑑定を頼まれているんです」
「値段の?」
「作者のです。一応僕は科学者ですよ?」
「もう済んだの?」
「はい。良作とされながらも作者が正体不明だったこの逸品、実は誰もが知る画家の作だったと判明し……」
「隣のこの絵と? サインが違うじゃん」
「偽名でしょう。カモフラージュしてありますが、顔料、筆跡から推測される筋肉の特徴、そして何より筆の抜け毛から検出された遺伝子が一致し……」
「サインが違うじゃん」
「ほぼ確実に同一人物です」
「体が?」
「?」
「カモフラージュしてあるって事は知られたくなかったんだよ」
「しかし事実は事実です」
「この偽名の人物は死ぬよ。それと繋がってる本体も死ぬかも」
「同じ人間ですからね」
「赤を分離していた青に、赤を戻し入れたら青は無くなるかも知れないだろう?」
「赤も青も一人の頭の中にある事でしょう」
「じゃあ聞くけど、鑑定を頼んだのって作者?」
「貴方はこの画家を知らないんですか? 三百年以上前の人物ですよ」
「違うよね。じゃあこうじゃない、作者の服を破って周囲がお尻見たがってるんじゃない」
「嘘を明らかにしているんです。サインを偽るのは詐称です」
「名前が違っても良作って言われてたんでしょ? 絵にとってはそれが全てでしょ?」
「しかし流通にとってはそうとも限りません」
「流通? 周りの事? きみは作者の味方にはちっともならないの?」
「貴方は作者の味方なんですか?」
「そりゃちょっとはそうだよ」
ある日その名前が世界を席巻して、この人物こそは身動きが少しも取れなくなる。そうなった日には自分はもう生きてはいない。いつもサーチライトの当たらない所を目で追っている。決して無意味に褒め称えられてしまわないよう、黒い布で百のカメラまでは覆う。疲れた頃に気がつく。黒い布は自分に掛ければ早かったと。
大掃除か。
普段から掃除しておけば年末に慌てて掃除しなくても綺麗なんだよ。
などと偉そうに言ってみる。
けどそもそも、合理的に考えると大掃除ってのは、
春に暖かくなってから花粉が飛ぶまでの時期にするのが一番なんだよな。
窓を開け放しても室温変わらないし、洗った物も乾きやすいし。
てなワケで、窓拭きとかはまた来年として。
大体この時期にやるのは大掃除って言うよりは、整理整頓。
PCのデータ整理したり、バックアップ取ったり。
コンセントタップのスイッチにインデックス付けたり。
使ってない食器捨てたり。仕舞い込む物は写真撮っておいたり。
部屋中の全引き出しの中身を棚卸しして把握し直したり。
把握のし直しってのは重要だ、と常々思っている。
最悪なのが、持っているのを忘れて同じ物を買う事。
アクセサリーなんかは、同じのを買わないまでも
此処が使い時って服の時に存在忘れてたりとかがありがち。
製品保証期限の切れたレシートもばりばり棄てんといかん。
こういうの残しとくと本命がゴミに埋もれて見つかんなくなるんだよ。
てな事をごちゃごちゃやってると思うけど、
僕の整理整頓は多分、趣味の一種なんだろうな。
絵から服を作る時。
肩プロテクターとか、二次元で描く分にはそりゃ立体でも簡単だろうがよお!
と思わないでもない。
曲線立体物は絵の方が実現が楽。
しかし、三次元だからこそ出来合で簡単に凝れる所もある。
それはレースやブレード、地模様や毛足生地。等。選んで買うだけで良い物。
パターン物、風合い物は服の方が実現が楽。
だからいつも思うの。コスプレ衣装って、
イラストがつるんとした平面生地に見えても、
質感の豊かな生地を使えば良いんじゃないかって。
イラストに一直線が描かれていたって、
柄物のブレードを使えば良いんじゃないかって。
多分その辺は、『絵としては細かすぎて描けない』ってトコだと思うのね。
だから描かれてないだけだと思うのね。
だって、例えばイラストでベロア生地を描こうとしても
塗り斑にしか見えないと思うのね。
それとか、例えば袖の縁取りに細い線を一本入れるとして、
これは黒い絹糸が太さ二ミリ程度の三つ編みになった物、
とか言われても絵では描けないと思うし、
描けたとしても、ぐちゃぐちゃした物に見えると思うのね。
でも、実際に着てみるなら此処が現実感とか高級感の出し所だと思うのね。
イラストの塗りをそのままを服にした物って、如何にも衣装だし。
そりゃモーターショーのコンパニオン衣装みたいに非現実な物も、
それはそれで、別件として大好きなんだけど。
コスプレは個人的には、“本物ぽく”見えて欲しい。
そういう、『あの世界からキャラクターが出てきて歩いてるみたい』
という所を狙うなら、素材のパターンと質感。活かしたいな。
イラストの忠実再現ってのは、もしかすると
『絵としては細かすぎて描けない』所も、込みの事かも知れないじゃない。
「そういうのは目立ちたがり屋の人達だけでやればいいじゃないですか」
って強烈に腹の立つ台詞だな。
そもそもお前、ここが何やるトコか分かってんの?
この発言者、誰とも喋らないから今まで空気だと思う事にしてやってたが。
胸がむかつくのはこの台詞を、実行委員と呼ばれる人の中でも
特に大人しそうな見た目の人を選んで、その人だけに言いに来た所だ。
協調性ゼロなだけじゃなくて明確に性格ワリいじゃねえか。
会議中に発言できる根性もねえクセにいっちょまえの口聞くなよタコが。
仲間の輪にまっっったく入らないソイツに
世話好きな人間が積極的に話しかけたりしてるが、お前らわかってんのか?
ソイツ、この集団は自分より格下ばっかだから
交わる価値無いって思ってんだぜ?
今までの個人プレゼンでソイツが
どこぞにいるらしい“私の友達”とやらについてを、
喋らない事が一度でもあったか?
可愛いモデルの友達だの、経営者の友達だの、センスのいい友達だの、
じゃあお前は何なんだよ。お前自身の価値を示せよ。あるんならな。
如何にも余所では人気者です的な発言してて恥ずかしくねえのか。
これで天才奇才なら仕方ねえかとも思うが、何やっても中の中だろが。
俺、一体何項目でお前に勝てるかわかんねえよ。
てかお前絶対その台詞俺とか相手には言えなかっただろ。
そりゃ僕にも苦手な事は多々あるからね、
衆人環視の中での発言は苦手な人間が存在する事をちゃんと認めてるよ。
しかしそりゃ、持ちつ持たれつ、だからだろが。
コッチが苦手な事を許して頂く代わりに、
ソッチが苦手な事を許してやってんだ。
最初から上から目線全開な奴には何を譲る義理もねえぜ。
お前は生きていく上で取り交わしてた暗黙の交換条件を
自分から踏み倒してんだぜ? そんなに叩き潰されてえのか。
人類は多様性があるからこそ面白かったり、
又、発信力の弱い人の脳内に面白いことが詰まっていたりもする。
だから通常なら僕は、口のぎこちない人間が居たら、
待ったり促したり、成る可く意を汲み取ろうとする。
しかし自分の好き勝手だけを通したいヤツ相手に施す手加減は無い。
お前の底など掘り返したくも無いし興味もない。
もうお前には遠慮せずに並の事を言う。
反対したいなら対案を持ってきて会議でしろ。いっちょまえの人間並にな。
出来ねえんなら黙って流れに飲み込まれとけ。
それが味方を一人も作らなかったお前の順当な行き先じゃねえか。
一人で生きてるつもりなら自宅に篭もって勝手に何でもやっとけ。
あースッキリした。やっぱ毒抜きは要るわ。
僕は議論には別に不慣れではないのだが、
議論する事に慣れていない人と議論するのは慣れていないと分かった。
議長が初心者である事が特に厳しい。
とにかく時間が掛かる。どんどん伸びる。
促しでもって堂々巡りの脱却を図るのは、
議長権限で仕切るよりも数倍難しい。
少数派になりたいんじゃない。
ただ世の中の多くが、自分の思いとは違う形なだけなんだ。
友達が欲しくない訳じゃないし、
社会の一員で居たくない訳じゃないし、
同族が少ない事に孤独を覚えない訳じゃない。
共感の相手を探してはいる。
僕の麗しの地を選んで立っている。
唯その周りには人が少ないだけなんだ。
今日、個人経営のシャツ店と、小さなパン屋へ行った。
雑誌に載っていた所を探して、二人連れで出向いたのだ。
長く歩いたし、たくさん他愛のない雑談をしたし、パンは美味しかった。
大きな繁華街からやや外れたそのストリートには、
穴場じみた、ハイセンスでひっそりとした佇まいの店が幾つも見つけられた。
本音を言うと、そういう女性らしい柔らかで楽しげな趣味は僕には乏しい。
僕は飽きもせず何年も同じ店に入り続けるタイプで、
それ以上に外出そのものが億劫である。
奥まった場所にあるレトロな雑貨屋、初めて目にするお洒落なカフェ、
そういう物の前で、彼女と一緒に感嘆の声を上げつつ、
何処か頭の片隅で「これはいい修行になる」と思っている。
楽しいか楽しくないかで言えば、
自分の部屋でじっとしながら、考え事をしている時の方が楽しい。
けれど、考える、という遊びは
知識や感性があればこそ出来るものらしいので、
外で色々な物を見て、遊びに使う新しい材料を頭に
仕入れ続けなければならない様なのだ。
幸い、連れ合いは非常に感性豊かな人だ。
彼女が「あー見て見て、いいかんじー」と言えば其方を見ればいい。
僕もずぶの朴念仁ではないのだから、探せばそこに良さを見つけられる。
いつか自力でその良さを探知できるようになるかも知れない。
日々が、自分に足りないゾーンを一区画ずつ開拓していく作業だ。
人物イラストって好きだけど、僕はその良さってのの内の、
造形の緻密さ、華麗さ、整い、じゃなくて、
表情が好きなんだな、と思った。汚くてもいいんです。
女性の集団に入ると、五集団中に一集団くらいの割合で総スカンを食ってしまう。そういう人生を、小学校の時分から今までずっと送ってきた。
上手く行く日も行かない日も、付き合い方の試行錯誤をし続けている。
今もその途中だが、最近「これがいいかな?」とやってみている事の一つが、明るくストレートである事。
少しでも良いと思ったら、笑って『いいね』と伝える。
無理すれば出来る事でも、笑って『えー? ヤダ!』と伝える。
実際の台詞はクッションの分もっと長いけど、内容はおんなじ。
発する言葉の意味よりも、笑っている事が重要なのだなあ、と思う。
(僕の場合)笑っている、というのは顔がその形になっているだけじゃなくて、その人を受け容れ(ようとし)ている気が表面化してる状態なので。それは相手の事を気遣うスイッチも自然と入っているモードだから、笑いに難がない時には、ちゃんと言葉面にも『貴方を憎からず思っていますよ』というニュアンスが自動的に含まれていく。
そういう行動特性で過ごしていると、自分自身の行動を、『わあ、女性らしくて気味悪いな!?』と感じたりもするのだけど、そこで恥ずかしがらずにやりぬくのが女性と仲良くなる為の心意気なのかも知れない。
そう、別に仲良くなりたくないワケじゃないんだよ。
よし行け躊躇するなそのまま喋れ、と自分に念じて『分かるわ! わたしもあなたが好きなそれをとても大好きなの!』という色で口を開く。まあ気味悪いがそこを押し切る。
それを自分なりの感覚でまとめてみるなら、力一杯、無邪気であること。
なーんて事を考えている僕の実際の邪気が如何ほどなのかは分からんが。
けど、(あんまし)ウソ吐いてるってんじゃないんだよな。
自分の特性の中の、見せるべき場所と、隠すべき場所を選んでるだけで。
胸の中の下から半分くらいを蓋をしてる状態なので、此方の感覚的にはライトネスに偏りすぎた、バランスの悪い人間の言動なのだけれど。しかしまあ、コミュニケーションが得意な人間というのが既に偏った存在なので、これで正解なのかも? と考えたりもする。
例え頭の中が世界一魅力的だったとて、表現力がゼロだったら他人からはゼロの存在だからなあ。
僕は独善性も高いけど、善性だってちゃんと高いんだから、その辺はちゃんと伝わる様には振る舞わないと人生損するかも。
男性の集団に悩まされた事がないのは、入る機会が少ないのと、彼等に取っては僕はお客さんだから、なんだろうなあ。最初から自分達とは違う思考の生物だと思ってくれてるんだろう、きっと。尤も僕は宇宙人だから大抵の男女と同じ生物じゃありませんが。
さて、ちょっと色彩検定うけてきます。
大胆に振る舞う者の精神が屈強とは限らないんだぜ。
しなければ成らない事はするタイプだからって、
しなければ成らない事ならしても負担がないってんじゃないんだ。
だから、自分が自分で苦しい時もある。
そういう現象をもたらす質の事を真面目と呼ぶ。
時々自分の性格の訳分からなさに疲れてくる。