常識に則した事や、さして規範の定まっていない事についてならば、
より良い道を選ぶ事はとても簡単だ。自分を信じれば良いだけだしな。
常識に適った事柄について、あまり良いとは思えない時にはかなり迷う。
常識という物は、円滑に過ごす為のルールでもあると共に、
人間グループの構成員である事を示す旗でもあるので、
郷にいれば郷に従うべきとも言えよう。
例えば、
日本に来たら電車の中では、やはり携帯電話で話さない方が良いと思う。
しかし、例えば、例えばの話だが。
目上の人とドッヂボールする時は突き指するのが常識、
という話に遭遇したような非合理感に苛まれた時、どうしよう?
……と、もしも人に尋ねたなら、
“今の世間には、目上の人とドッヂボール
する時には突き指するという常識がないので”
きっと「そんな事する必要無い」と応えてくれるだろう。
常識は、もう存分にシェイプされたルール機構と言える。
だが、完璧や不動とは程遠い機構でもある。
僕はより良い道を選ぼうとするけれど、
それが、唯の我が儘なのか、すべき決断なのか、分からないので迷う。
けど、やっぱし此処で突き指しても労災保険も降りないので、
ひとまず自分を信じる事にしよう。
保険が降りたとしても自分の体の方が限りなく高価だから
やんないけどな。
僕は、寒空の下、制服で数時間立たされて二日寝込んだ事も、
毎日長時間、粗悪な椅子に座らされて、
この先死ぬまで腰痛持ちになるんだと覚悟したこともある。
経験を活かしてるのか、それとも唯の恨みか。
ガラスの体を守っているのか、それとも唯の快適かぶれか。
これで安心。それはそうと。
一体自分は、何歳の頃に振り込みが出来る様になったのだろう。
ついつい『誰もが大人になればこれくらい出来る』と思いがちだが、
案外そうでもないから油断は禁物だ。
どんなに年を経ても、習得の過程が無ければ物を覚える事はない。
僕は、自分の常識習得度という物には常に疑念が有って、
知識や教養から、立ち居振る舞いまで、
何かと同年代から遅れを取り続けている意識がある。
常識外れな求めに対しては遅れを取る心配はあまり無いのだけれど、
一般通念をベースとした社会に於いては、その構成員というよりも、
何処か、お邪魔させて頂いている、といった感覚でいる。
なので、ふと、
人並みに振り込みなどという事を終えた自分の手を見詰めて、
人並みの事が出来た自分を不思議に感じる様な瞬間が有る。
恐らく僕は、異国で生活している様な、
青春時代を続けて居る様な、心持ちなのだろう。
残念ながら、
席が、一日中愚痴と泣き言と忙しいを口にする人の隣だ。
逃げられないので、仕方なく混ぜっ返した応対をするが、
やはり、この人の隣に居なくなる為の努力はしようと思う。
人間はやはり、パワーをくれる人の隣が好きだと思う。
ホント日記書かないよね、ノーパソ電車に持ち込んでないと。
ノートPCがヒートしすぎる様になってから早数ヶ月。
電気屋に持ち込むタイミングが掴めぬまま冬になってしまったもので、
室温が低いから何とか動いてしまうというダメッぷり。
11月中に持ち込まないと我がPCが
年末の争乱に巻き込まれそうなふいんきとかするので何とか頑張ろう。
滅多に無い事、だけど、俺、文章無くした?
いや3kbくらいの超短い文章で、大したモンじゃないんだけど。
あぷろだに上げた後、格納する程の代物でもないしなあ、
とか思って放置してたのが、見当たらない事に今ふと気付いた。
うっそーうっそー。
確かに、何とか.txt、とか多いけどさあ。
一応分類分けして置いてる訳で、俺が物なくすとかそんなアハハハ。……ハア
……と思ってたら見つかった。
そっか、整理して場所変えたんだった。整理整頓好きの陥りやすい罠だな。
他者と共存しようとする自分は、間違いなく自分であって他者ではない。
他者も自分ではない。
言葉面を聞くなら当たり前の事だろう?
感情が肩凝りっぽい時には、漫画がマッサージとして適してる。
感覚感情爆発系のヤツ、例えば
スラムダンクとかガラスの仮面とかBASARAとかが良い。
恐らくこれらは十代の活発な頃の感情を
取り返しに掛かるトレース用に向いているのだろう。
今回はBASARAを読んだ。
今の若い人にはBASARAと言うと戦国が付くらしいが、
ワシのゆうておるのは更紗が主人公のあれの事。
戦乱物語であるが、少女漫画なので、
厚着のままでも一時間泳げたり、火の手や洪水が非常に都合よかったり、と、
物理的な突っ込み所は数が知れない。
しかし心理描写は非常に丁寧で、キャラクターも多彩である。
以下BASARAを知っている人にしか通じない話。
主人公カポーも勿論魅力的なのだが、MVPに推したいのは浅葱だ。
どうもオレはどん底からの成長系キャラに弱い。
もう一人推すとすれば揚羽だ。
どうもオレは高能力美形キャラに弱い。
どうでも良いけど二人共、青なのね。
何故、自分は読書を楽しむ人になれないのか。
とぐちぐち言っていた所、こんな話を聞いた。
「『近視は読書好きになりやすい良い目だ』と書いてあるのを見た。
理由は単純に、近くを見るのが楽だから、だそうだ。
と言う事は、遠視の人は読書好きになりにくい事になる。
その説は別に確かな筋からのものでも何でもないけれど、
ただ自分は遠視の実感として酷く納得した覚えがある」
と言う話を聞いて遠視の実感として酷く納得した。
何で自分は読書が苦痛なんだろうなあと思う。
本を読もうと何度も挑戦はしてみてるんだけどなあ。
読書好きは呼吸をするみたいに読書をしてるみたいだけど、
自分は水の中で呼吸をしてるって感じ。
ヒーロー役をやりたい、というのは結構言いづらい。
そもそもヒーローをやりたがる、というのがヒーロー的な行動では無い訳で。
なので普段から、『ヒーローをやるならアイツしか居ない』
と思われて、他薦されるような人物で居なければならない。
つまり、本当にヒーローでなければ、ヒーローを演れない。
因みにワシが一番やりたいのは、敵か味方かが曖昧なキーパーソン役。