言い訳したくなる自分が居る。
客観的に見て無様だからやめろという自分が居る。
丁度そいつらの力が釣り合っている時に自分はこういう発言をする。
言い訳しない。隠せてもいない。
過去、現在、未来と、全ての私は消耗品である。
脳が全力疾走した後の、夜だ。
もう、物を考えるのが、マラソン後に這うような感じでよたよた。
目を閉じてしばらく、出来上がった完成品をイメージしてみる。
そこに向かって手を動かす。手を動かせば進む。
進んだら辿り着く。
昔からそうだった。
メグよりノンの方が好きだったし、
着せ替え人形は脇役についてくる背の高い方が好きだった。
前にも言ってたかも知れないなこれ。まあいいか。
心身共に強すぎる側面を持つ女の方がもえる。
でもだからといって女性でSAS隊員とかボクサーとか、
そういう、どーんとがっつりじゃないんだよな。
飽くまでしなるように、繊細に。
例えて言うなら猛々しい猛禽ほど美しい流線型をしているようなものだ。
人間は、ゴールテープの幾らか前に、脳内ではゴールしたと認識して、
戦闘モードが解除されてしまうらしい。当然パフォーマンスが落ちる。
最後まで終わりを思ってはいけない。
いま俺が、勝てそう、と思った瞬間に泣けてきたのは、
上記の戦闘モード解除がなされた結果なのでは。
要約:だめじゃん
対策:今日は諦めて酒をのむ
誰もが胸に気持ちを抱えている。
誰もがその100%を人に伝える事が出来ない。
精一杯に愛を語ったり、力一杯に罵ったりするが、
いつもいつも、言い足りない。言葉では足りない。
おまえなんかに私の気持ちが分かってたまるか。
という以上に本当の道具をまだ手にした事がない。
自分の場合はツイッターを物語の舞台裏にしてはいけない。
それだけは固く心に言い聞かせ続けようと思う。
気を抜くとそちらに傾れ込みそうだからな。
全ての人が着ぐるみが頭を取る瞬間に落胆しないわけでもない。
水が多すぎるから、指先に堤防を作ろう。
それは隠し事ではなく、作品の真実を損なわない事なのだと思う。
響いてくる笑い声を聞きつつ思う。
感情の篭もった笑い声ってその人の質を表してる気がするなあ。
僕は、うははっ、とか、んふー、が多い気もする。
うーん。爽やかに笑いたいものだ。
web上では自由に語る努力をしている。
歳を重ねると、努力をしなければ奔放になれない。
だから僕は想って構わない。自分は自由だ。
唯一の鎖は面白くなくない事で、それだけが均衡を守り続ける錘だ。
一つの唾棄もされない物は過ごし置かれる物で、
一つの拍手も受けない物はやはり唾棄される。
簡単に言えば、
好きに飛ばせて貰う以上は踊り方くらいは心得て置きたいのだ。
批判的であることと、邪推癖があることは、違う。