僕は表面上わりかしビジネスライクな振る舞いをする方かも知れないが、
しかし困った事に、心底ドライかと言えばそうでもなく、
ウェットな自分が『すべき事はすべきだ』と思っているだけだ。
なので、権利を主張した時に相手がむっとしているのは検知が出来てしまう。
この感覚を例えて言うなら、
自分の頭の中に勇敢な戦士が一匹住んでいて、
そいつの働きで口を開く事が可能なのだが
跳ね返ってくるダメージを受けるのは豆腐の自分であり、
しかも勇敢な戦士は僕を羽交い締めして言い訳を許さないのだ。
以上の現象を一行で説明すると、
自分が自分の信念の操り人形であるかのようだ。
つまらない物ですが、と言って物を持っていく事は、
あまりない。
僕がバスケをしていた時の映像は一つも無い。
それが良かったのではないかと、今では思っている。
僕等はテレビでNBAの試合だって観る
オリンピック選手の走りだって観る。
一地方学生の身体技がそれに見劣りしない筈も無い。
感覚の表現に必要な物なら感覚だけでいい。
外からどう見えているかなんて関係無い。
空を飛んだ事が無くても、音速の剣を繰り出した事が無くても、
自分の感覚だけを追ってそこへ行く。
あの筋肉の隅々にまでニトロぶちこんだ様な、
全身が雄叫びをあげて弾ける様な、
その感覚は自分だけの本物だからそれを追う。
だけど側目にはそうじゃない。
それが、映像を目にして、現実のレベルが客観的に見えた時、
本物だった筈の自分の感覚までが、夢よりも溶けて失せる気がしてならない。
僕の心は僕だけの領域。
誰とも100%の共感は出来ない。
それを求めること自体が愚の極みと大抵の人は知っているし僕もそうだ。
だから日常では、他人を想いやりながら生きる。
他人と共感のズレが生じたら、自分の姿を補正して過ごす。
マジョリティに属する項目を沢山持つ人は、共感のズレも少ない筈だ。
逆ならどうだろう。
とても疲れると思わないか。
だから自分の心だけで作られたステージで、
僕は僕を100%に近くやる。そういう時間を作る。
いつも想っていた筈の、けれど世界に解き放たれなかった考えや感覚を、
100%に近くプレイしようとする。
魅力が違うので、住所が違うだけだ。
インタラクティブな世界にも旅行をしに行きたい。
このネタは、この材料は、もっともっと上手くなってから、
満を持してから使おう。
なんて思ってたら腐らすだけだよな。
いわゆる自家発電の本当の意味を考えたりもする。
発電してしまう、のではなく、発電するのは割と難しい。
若い頃は放って置いても森林火災のようにボーボーと燃えた気もするが、
ここぞと言うときに任意でエネルギーを出せるかどうかは
訓練次第かも知れない。
この世には、
カチンコが鳴った瞬間に役に入っていられる人が居る筈だ。
森林火災を待つんじゃなく。
なんて言わなくても大丈夫。
知らない内に発っていてもいい。
ふらりと帰るかも知れないし、立ち寄るかも知れないし。
想いの所在なんて、言わなければ見えない事じゃないか。
曖昧なままにしておいたっていい。
一体何で苦労するかは人に因って違う筈だ。
けれど今生とその前後を合わせれば、大体総量の帳尻は合うんだろう。
眠る前の二時間に、ねっっむーいままに物語の冒頭だけを書いた、
そんなファイルが幾つか溜まっている。
はっきり言ってどんな物語を書くつもりだったのか、
自分でもさっぱり分からない。覚えてない。
だから続きを書きようがない。
なので供養して捨てようとしたけれど、
やり遂げる、作り遂げるという事がしたくて
殆ど新規構築するだけの力を注入して、最後まで力尽くで書く事がある。
Make it work.形にしよう。出来る自分でありたい。
何時、如何なる時も、正しさの絶対など分からぬ以上、
自分の事を信じるしかないんだ。
けれどその結果が周囲の人と言う人を遠ざけてしまうのなら
正しさ以前に先ず失敗だ。
それでも自分のやってる事に自信を持つしか無いんだ。
正解だからじゃなく、それしかないからだけどな。