今は世界が平和だから、歌や物語の中でしかクサイ台詞やうねる想いを言えなくなっているのか。戦乱の世ならまた違ったのか。人生と名誉を賭けて熱く人を説得し合ったのか。分からないが。スカしたクールな振る舞いを常識とする現代では、生の想いを吐くと松岡修造扱いだ。未加工の想いは他者に圧力を掛けるのは確かだ。だからそれを解き放つ隙を狙い続ける。僅かだけれど。
よう。一ヶ月後の俺。どうだい。宇宙は快適かい。
こっちは丁度、出発の準備に大忙しさ。全く君が羨ましいよ。
乗組員の発表は終わったけれど、一人まだ会えてなくてね。楽しみだよ。
そっちは暑いのかい、寒いのかい。
前もって分かれば準備が出来るんだけどね。はは。
所で君、さっきから返事が聞こえないんだけど、死んでないよね?
偶に、地球が大爆発して宇宙の塵になれば物事は全て綺麗に治まる、
と想像する事があるけど、
コレが浄化テロリスト的な思考ってモンなんだろうなあと思う。
どっかの誰かが使うかも。(どっかのキャラがこの感情を使うかも)
胸の片隅にストックして置きたいね。
大抵の場合、感傷バリバリの想いをブログ日記に綴っても、
発表するのを躊躇して終えるか、
発表して恥を掻くしかない。
僕のブログ日記は
相当な恥には耐える仕様になってる気はするんだが。
しかし、それでも許容しきれないくらいの感傷バリバリの場合は、
やっぱ面倒だけど物語に化けさせるしか無かったんだろうなあ。
日記は駄目でも、
登場人物にやらせたら許容して貰える事が多い気がするの。
そこへのスロープさえ造れば。
歌いたい。物凄く歌いたい。今すぐに。
最近カラオケ行ってない。多分もう三週間くらい行ってない。
僕が一人カラオケにゆく事を知っている人は、
“遊び”の話をする様に笑いながらその話題に触れる事も有る。
それでいい。それは遊びなので。
けれど同時に“しなくてはならない事”でもあるのだ。
それは、運動で体を鍛えるように、
出来ないと即死する訳じゃないけれど、
しないとどんどん弱っていく、という事柄なのだ。
人目を憚らず大声を出す、というのはかなりの思考クリーニング効果が有る。
目一杯に感情的になる、というのにもだ。
だから、実は疲れていて行きたく無い時にも無理矢理カラオケに行っている。
なので、一人でカラオケに行くくらいなのだから暇があるのだろう、
と誤解されるのは困る。
僕にとっては、忙しくても風呂に入るのと一緒なのだ。
リーダーとは、イメージをさせる仕事だと思う。未来はこうなると。
自分をリードするのは自分しか居ない。
では僕は僕をイメージ出来ているか?
偶にやさしい人々へ向け心の中で投げキッスを送るんだけど、僕自身はさしてやさしかない。自分は兎もかく皆さんよろしく御願いします的な事はあんまし思わしくないとは思うんだけどなかなかどしてどして。
目まぐるしく変わる感情の代弁を彼等に託し、僕は目を閉じる。
そんなに沈黙が安心かい?
ならば僕は開かずにおこう、眠って見える様に。
意識のまま見て居る夢だけが歩いて語る。
僕は僕が望む速度で物が作れない。
望む速度でも生きられない。
貴方からはもっと遅い。
どうも、
あれもこれもそれも、やらなければと思って結局何もしない日が多いようだ。
小さな問題をひとまとめにして大きく考えすぎているようだ。
それぞれにタイムリミットがないから、
優先順位で迷っている振りをして怠惰なようだ。
物事に追われている時は、動機の面では気が楽とも言える。
自分から物事を追いかけるには、それはそれで膨大な力が要る。