メモに書き留める代わりに、やってしまえばいい事も有る。
そうでないなら気に入りのノート一冊のみに。
信じるなら信じろ。信じないなら信じるな。
ただし信じない物は無いのと同じだぞ。
小さく小さく始めよう。
確かに世の中、政治も仕事も「隙を見せたら陥れられる」というスタンスで
考えておくのが正解である事は多いんだけれど、
そういうトコでの泳ぎ方を叩き込まれると
世の中陰謀だらけ、みたいなコンタクトレンズで目がごろごろする。
郷にいっている時には勉強がてら郷に従う事にしよう。
でも僕の理想はそこではないな。
そしてその理想は実現可能かどうかは兎も角として、
少なくとも自分から始めなければ誰かが実現してくれるものじゃないな。
その口火を切る存在として爆薬は爆薬庫に仕舞っておこう。
殆ど賭けだけど。
どんなに近しい人がやっていても、
それが悪くない事でも、
ふとつられてやりそうになっても、
僕だけはやっちゃいけない事ってのはある。
それは例えば青を混ぜる事。
別に君に勝とうなんざ思っちゃ居ない。
唯、僕が最善を尽くした結果が君の敗北なだけだ。
常識の幅が狭い人々と接する度に、うんざりしたり、馬鹿にしたり、その狭量が恐かったりもするけれど。そうやって自分の生きる道を絞りきって生きている人々の、明るさや力強さ、安定感から伝染してくる安定に支えられているのは確かだ。
朗らかさと力強さを携えるには常識の幅をシェイプして固着させなければならない。
優しさを持つには多くの常識を胸に持っていなければならない。
その二つは両立するという目算のもとに有る行動なのだったのだろうか、このこれは。
僕は沢山の常識を知ろう、理解しようとするけれど、それは沢山の常識を取り入れて動ける訳では無いのだと改めて肝に銘じる。全ては僕という常識の幅が狭い人間がなんとなく身の回りに置いていくクッションなのだ。
いつでも正解だけを見つけ続ける事が正解でも無いし、
人類には自動間違い機能が搭載された。
全部ぶっちぎって行きたい。
俺はそこの住人じゃない。
だからと言ってあっちの住人でもない。
居る所は何処にも無い。
何故ならこの足の下に地面を作れるのは自分だけだからだ。
一枚の盾と一枚のウェルカムマットの有る王国で漂流する。
何者でもない。
それは悲観ではない。
不思議だが、
深酒して体調を一度粉々にしてから立ち上がっていくこの感じは、
何だか生まれ直しているかの様な感覚がある。
なんて言うか、よりも、
誰が言うか、の方が強い時が多いと、
経験の度合いが高くなるにつれ、想う。