冷蔵庫だろうが、引き出しだろうが、
こちらが物を取りだして戻すまでの間に、横からもう何かを入れている。
ハイエナのような空間ゲッターだ。
数分出していたドレッシングの隙間ですらそうなのだから、
ましてや在庫用スペースなど、次の在庫を買うまで空いたまま生きては居ない。
因って、中身の見えない箱をスペーサーとして使用する事になる。
箱の中で在庫は日々減り続け、多くのスペースが空になるが、
蓋を閉じ、中を見せない。
在庫がゼロになる前に補充の買い出しをすると、
収納スペースは箱の中に有り、スムーズに空間が満たされる。
何処に入れようか、と頭を捻ってパズルをする必要など何処にも無い。
勿論、入らないなと諦めて収納庫の外に詰む羽目にもならない。
消費と空きスペースと買い物の関係を考慮していると、非常に行動が楽だ。
何故、皆そうしないんだ?
物を詰め込むな、物を買うのなら。
空間がないと言う事は、買っても入らないと言う事だ。
床にはみ出るまで買うな。そこが最後の通路なら流石に買わない癖に。
収納庫に収まる量で留めなければ、歯止めの場所を間違ってるぞ。
使う可能性のある物を取っておく、これから使う物を潤沢に揃える、
そんな事をし続けたら倉が要るぞ。
一戸前を埋め尽くしたら、二戸前が要るぞ。きりがないぞ。
少年よ少女よ、それは大人もやる失敗だ。名付けた後にそれが勘違いや、他文化でのマイナスイメージ言語であった事に気付く。それがいつか笑って済まされない日が来る。やらかすとやらなかったのと同じには戻れない。
だからものを覚えてるんだ、崇高なことだけじゃなく、クソくだらないことまで出来るだけ沢山。もし君が帝王になるなら尚更。
と言う物を人々は如何ほど持っているのだろう。
僕は腐る程に持っている。言い様に因っては正に腐り終えている。
何かに例えて言うならば、
漁師に成りたかった時の投網、達筆に成りたかった時のすずり、
そんな物だ。
僕はそれを、使い切る努力か、捨てる努力かをしなければならない。
そのどちらでもない選択肢、勿体ないと言う選択肢は本当は無い筈だ。
人生では誰でも度々
「これは目立つことだろうな」という局面が、
パフォーマーの役目が回ってくる局面が、
有ると思う。
学芸会や合唱会だったりするかも知れない。
研究発表だったり又、その他のプレゼンテーションかも知れない。
推薦や立候補などで選抜の少人数なのかも知れないし、はたまた、
全員が一度はソロで喋る番が回って来るような、そんな、
例えば自己紹介の機会とかかも知れない。
いつからだろう、目立つのを厭わない自分の性質に
言い訳しなければいけない気分になったのは。
目立つのが好きな人、と人が口にする時、
それは褒めているのか。貶しているのか。
僕が目立つのを厭わないのは、
もちろん幾ばくかの自信が有る場合もあろうが、
基本的には、目立つに備えての学習や反復練習を厭わない場合である。
一生懸命誠実にやった、だから何も恥じる事は無い。
とだけは言い切れる様にして置くからである。
そういう問題ではない、と言う人は居る。それも分かる。
結局自分もそういう問題ではなくドキドキドギマギしているクセに
それを隠しているだけという側面も有るからだ。
隠すと言う事は徹底的に立ち向かうという事である。
物事には、80%だけ本気、などと言う事は無い。
本気か、本気じゃないか、のどちらかなのだ。それが本気と言うものだ。
ちょっと様子を見つつ徐々に本気、とか、
そんなのは本気というその本質的には有り得ない。
心のリミッターがやや高回転域に設定されている僕だけれど、
やはり人から眉を顰められたりするのは好きでは無い。
けれど80%は無い、のであれば、
周囲のリミッターを上方へ吹っ飛ばすまで本気になるしかないのだ。
何も考えずそうであるかの様に見えたなら、それがベストだ。
漫画が好き、音楽が好き、と言うと往々にして
ではあの作を知っているか、この作を知っているか、という
数の話になる。
最近のは知らないんで、と言うと、
じゃあ君の世代ならコレとか知っているだろう、と来る。
そのジャンルはあまり、と言うと、
じゃあ君のジャストミートジャンルならコレとかどうだ、と来る。
僕は気に入った数作を何度も何度も何度も楽しんで、
頭の中で何度も思い返して、リピートして、想像を作品の外に及ばせたり、
又は深く掘り下げたりするのが愛し方なのである。
消費し終えたら次に目が向く訳ではない。
もしかすると、その場合には
漫画が好き、音楽が好き、と言ってはいけないのかも知れない。
僕は唯、
超人ロックとFSSとスラムダンクとetc etc etc...
I will always love you とまちぼうけとetc etc etc...
が、好き。
と言わなければいけないのかも知れない。
しかし流石に日常会話では漫画が好き、音楽が好き、と要約せざるを得ない。
次々と流れ来る情報を沢山キャッチするタイプじゃない。
受け取ったボールをいつまでも抱きしめて自分が踊りたいんだよ。
その言葉を知っているからと言って、その事を知っている訳ではない。
と言うのはよくされる話だけれど、
やはり単純に考えて、沢山の言葉を知っていると言う事は、
沢山の物を知っていると言う事なのだ。
さて私は今日触れたいくつの言葉を知らなかったか。
そして幾つの思いを伝達する折り言葉に窮したか。
みんなが自分を好きになる。
っていう妄想は悪くないと思うよ。
逆の妄想を抱いてる人は、運を呼ぶ実力の無い人さ。